「もう死んでやるとか、小学生のときはマジで思ってました。いろいろな意味で生きていくのが苦しくて、とにかく家族の圧をすごく感じて。中学受験にも失敗しました。だからいつも怒りのような感情が心にありました。中学生のころからそれを吐き出すための言葉をときどき携帯のメモ機能に入れていたんですが、ある日その〝怒り100%のメモ〟を見返したら、すごく短絡的で稚拙に思えて、こんな感情をもっとうまく表現できないかな、と考えて辿り着いたのが小説で表現することでした」
樋口さんは二〇〇七年生れの現在十七歳、『泡の子』は初めて書いた小説です。
「怒りのメモ以外に、何かを思いつくたびに携帯のメモ機能に〝表現の断片〟として残してきました。それがたくさんたまって──三〇〇以上かな──テーマもトー横に絞られてきたので、断片と断片をくっつけて、不必要なところは省いて、いろいろな結末に向かっていたものをまとめていったら、最終的に三つくらいの大きな文章のブロックができました。その前後をさらに削りながらくっつけてひとつの作品にした感じです。ずっと携帯で文章を書いてきたから、まだこれはつぎはぎだらけだと思っています」
選考会では「トー横に舞い降りた詩人が描いた物語」と評した委員もいました。どうしてこの場所を主題に描いたのでしょう?
「トー横に対して先入観を持っている人たちに、自分の問題として受け止めてほしいという気持ちがありました。トー横を悪い場所だと思うのはいいけれど、どうしてそういう現状があるのか知ろうとしないで、対話もせずに排除するだけ。その排他的な思考がもったいないと思っていました。たとえばハメ撮りの対象に陥った人たちの背景やデジタルタトゥーの苦しみについて書くことで、そんな偏見にも抗したかった」
どんな作家に影響を受けてきましたか。
「高校の国語の教科書の最後に、小説の冒頭だけ集めたページがあったんです。そこに綿矢りささんの『蹴りたい背中』が載っていて、ダントツで面白かった。なんだ、小説ってこんなに自由でいいんだって。だから綿矢さんがデビューした十七歳で文学賞に応募したいと思ったのが、小説を書いた動機のひとつです。あと村上龍さんの『限りなく透明に近いブルー』には衝撃を受けました。それから石沢麻依さんの『貝に続く場所にて』。この三冊は自分にとってはビッグバンみたいなものでした」
小さいときから本は好きだった?
「本自体は昔からそばにあったし、国語の授業で本が面白いと感じて図書室にもよく行きました。明確に好きと思えたのは、小学校三~四年のときに図書室で黒猫が表紙の『ブンダバー』(作/くぼしまりお・絵/佐竹美保)という本との出会いです。装丁も魅力的だった。しゃべる黒猫と動くタンスのタンちゃんの話で、すごく美しいなって感動して。
小学校五年の夏休み、ハガキで応募したら本をもらえるというシステムがあって、夏目漱石の『坊っちゃん』が家に届いたんです。細かな注を一生懸命読みながら読破しました。考古学者になって解読しているようで楽しかった。今でもぼろぼろの『坊っちゃん』持っています」
『泡の子』というタイトルはどのように思いついたのですか?
「当初は『21gの蛾』というタイトルにしていました。作品の中で〝蛾〟を出して〝魂は21g〟という通説にちなんで。主人公の名前の〝ヒヒル〟も、日本語の〝蛾〟の古名からとったんです。でももう少し考えて、野口雨情の『シャボン玉』の歌詞──〝幼子の死〟というテーマがあるとも解釈されているようですが──から『シャボン玉の子』を思いついたのですが、長すぎるから『泡の子』にしました」
樋口さんにとって本とはどういうものですか?
「うーん。難しいですね。たとえば〝愛〟ってなにって考えて単語を辞書で調べたら答えらしきものは出てくるけれど、それが本当にしっくりくるかというと……。そういうときに小説を読んで辞書の説明とは違う形でぱっと『こういうのが愛かな』と入ってくることがある……。うーん、この質問についてはもう少し考えたいです。
ひとつ思うのは、権威的な存在などから押し付けられた正しさ以外のさまざまな見方、考え方があることを本は教えてくれます。ネットからの知識だけだと、勝手にユーザー好みのコンテンツを提供されるようですし。ぼくはこれからも自分で本を選んで幅広い知識を獲得したい」
今後どのようなものを書いていきたい?
「短篇を書きたいです。最近だと、横光利一さんの『蠅』や田辺聖子さんの『ジョゼと虎と魚たち』に感動したので、あんな文章が書けるようになりたい。
『泡の子』に使った表現の中には、中学生のときにメモ機能に残していたのも入っています。今の自分の考えていることより面白かったりする。これからもその時々に感じたことを大切に作品を綴っていきたいです」
2024年11月号より
聞き手・構成/編集部
撮影/中野義樹