劇場という名の星座

劇場という名の星座

著者:小川洋子

光と闇、生と死、絶望と愛……この世のすべてを内包する、比類なき劇場【帝国劇場】。2025年2月をもって一時休館となった同劇場の記憶を未来へと繋ぐ、世界でたった一つの“帝国劇場”小説が誕生!
舞台上でスポットライトを浴びるスター、誰かにとっての特別な一日を支える案内係や売店スタッフ、客席から見えない裏側で上演を支えるエレベーター係や幕内係、そして観客……。劇場を愛し、劇場を作り上げてきた人々の密やかな祈りがきらめく豊饒な短編集。

ISBN:978-4-08-770038-1

定価:1,925円(10%消費税)

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刊行記念対談 小川洋子×河合祥一郎

【書評】星座を成す人々へ

文月悠光

 本書は、昨年二月に休館した帝国劇場を舞台とする連作短編集だ。帝劇に関連する様々な人にスポットを当てている。
 たとえば、盲目の父が遺した劇場のパンフレットと手紙から、彼のたった一日の小さな冒険を辿る「ホタルさんへの手紙」、観劇のチケットをめぐるドラマ「一枚の未来を手にする」、ロビーの一角にある〈幸運の椅子〉の存在を知るのは売店で働くたった一人「こちらへ、お座り下さい」、劇場では気配を消す三人が自分を取り戻す秘密の場所「サークルうてな」、帝劇で生まれた僕と母の物語「長すぎた幕間」などの全八編。人物の息遣いや体温まで描き出す繊細な筆致が、魅力を際立たせる。
 本書の中で、特に印象的なのが二編目の「内緒の少年」だ。私たちは、ステンドグラスの裏側に住む不思議な少年の目を借りて、普段は見ることのできない劇場の裏側を旅することになる。舞台袖から稽古場、楽屋食堂まで。舞台袖では、ある俳優が自分の出番を待つ際に詩集を開く。俳優が読む萩原朔太郎、エミリー・ディキンスンの詩の言葉にまで少年の目は届く。
 そうして少年と共に旅をしていると、劇場の内部で精巧な歯車が回るように、様々な人々が働いている鳥瞰図が見えてくる。考えてみれば、小川さんの作品からは毎回、どんな小さな仕事にも矜持や誇り、思いがけない美しさがあることに気づかされる。
 母を探すために劇場をさ迷っている少年は、帝劇にとって重要なある人物をモデルとしている。彼は他の短編の端々にも登場し、それぞれの作品を繫ぐ役割も果たす。少年の孤独に胸が締めつけられるが、作者は最終編、この少年を決してひとりきりにはしない。その優しさにも胸打たれた。
 本作において、劇場はただの箱ではなく、生者と死者を繫ぐ場所となる。少年とエレベーター係が交わす、次の会話が象徴的だ。
「劇場っていうのは、死んだ人が集まってくる場所です」
「まあ、それが、いい劇場の条件かもしれないなあ」
 一〇〇年以上を誇る帝劇の歴史と、舞台に立った名役者たちの魂、舞台の暗闇が、死の世界への想像を搔き立てるのだろうか。
 四編目の「スプリングゲイト」もまた、その意味で重要な作品だ。主人公は帝国劇場の幕内係。幕内係とは、スタッフや役者のあらゆる要望を受けとめる〈何でも屋さん〉で、〈黒子の黒子〉であるらしい。
 楽屋入り口のすぐそばには、着到板という、出演者やスタッフが〈劇場に入る時、赤い名前をひっくり返して黒い名前に変える〉名札がある。主人公は、その裏表に名前を書く役目を任されている。
 ある新人の俳優は、劇中に自死する女性の役を演じることになった。彼女は舞台の上で毎日死に続ける。着到板をひっくり返す度に、〈門をくぐり、命を差し出す世界へ踏み出してゆかなければならない〉。〈かつて魂がさ迷っていた世界を生き、幕が下りると、再び着到板をひっくり返してこちらの世界に戻ってくる〉のだ。死に向き合う俳優の覚悟と、彼女の静かな葛藤を見守る幕内係の関係に強く惹かれる。
 近しい死者に出会い直す、というパターンもある。「ホタルさんへの手紙」「長すぎた幕間」では、劇中歌の歌詞がさりげなく引用される。歌の言葉が大切な人の不在にそっと寄り添うのだ。
 恥ずかしながら、私は帝国劇場に足を運んだことがない。学生時代はコンテンポラリーダンスや若手の演劇を観に行くことが多く、小劇場にしか馴染みがなかった。そのせいか、自分のような者は帝国劇場という場には似つかわしくないように感じていた。
 だが本作を読み終えた後、帝国劇場のサイトで劇場内の写真を見て、不思議な温かさと包容力を感じた。見事なステンドグラスの裏側に迷子の少年を、荘厳な階段に〈パラソル小母さん〉の姿をつい探してしまう。と同時に、作者がこの劇場を視覚的にも想像できるよういかに心を砕いたか、それが深い観察力に裏打ちされていることを実感し、震えたのだった。
 しかも、ぬかりない作者は、私のような人間にも、物語の中に居場所を与えてくれている。帝国劇場に集う人々について、ある人物がこう語る箇所がある。「舞台に上がる人、パンフレットに名前が載る人、載らない人、幕の向こう側にいる人、誰にも見られず名前も知られず居場所も不明な人。実にさまざまです」。
 舞台に立つスターだけが「星座」なのではない、どれほど孤独でも、小さく見えにくくても、劇場という星座を成す一部になれること。光を誇るのではなく、自らの星屑を差し出すようにして。私はそれを、作者の「帝劇を権威として書かない」という意志の表れのように思った。
 なぜなら、劇場は本来〈見返りなど求めない〉から。〈望む人には誰にでも一脚の椅子を差し出し、裏で働く者たちを見守り、舞台で織りなされる光と闇を両腕に包み込む〉存在なのだから。
 劇場という空間の隅々まで目を届かせなければ、本作を書くことはできない。綿密な取材を重ねたのだろうとは推察したが、作者のインタビューによれば、元支配人から「帝国劇場の記憶を小説の形で残しておきたい」というオファーを受けて執筆された作品だという。その事実を後から知り、私は余計に驚かされた。そうとは思えないほど、本作には書き手のフェアな目線と、人々への気配りが行き届いていたからだ。
 最終編「劇場は待っている」は、劇場へのお別れと再会を約束する一編だ。本作を読み、今私が一番行ってみたい場所は帝劇になった。建て替え後のリニューアルオープンは二〇三〇年の予定。それを楽しみに待ちたい。劇場の再開を待ちわびる私たちにとって、本作はこの上なく素晴らしく、愛おしい贈り物になるだろう。