港たち

港たち

著者:古川真人

島に帰ろう。家族の声を聞きに。

お盆を迎え、久しぶりに九州のとある離島に集まった吉川家の面々。
この島ではお盆の夜に、島ならではの行事が執り行われる。
その行事に向けて忙しなく動く家族の声を、敬子は眠たげに聞いていた──「港たち」

帰省先には、相変わらず酒に浸る父や、知り合いの家を飲み歩く男がいた。
昔のことに水を向けると、彼らは仕事で羽振りが良かった時代の武勇伝を語り出す。
この頃、社会はコロナ禍から回復しつつあった──「明け暮れの顔」

緩やかな坂の上にある教会風の建物で行われる、従妹の結婚式。
稔は煙草を一服するために式場の外へ出ると、空を旋回する鳶が目に留まった。
ふと、幼い頃の夏に、父と島で見た光景がよみがえる──「鳶」

……など、吉川家のとある1年間をたどる豊かな語りの5編を収録した、芥川賞受賞作『背高泡立草』に連なる小さな島の物語。

ISBN:978-4-08-771889-8

定価:1,980円(10%消費税)

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【書評】分有される声

陣野俊史

 誰にとってもそうだとは思わないが、実家のある地方の村落に帰省して、何が楽しみかと言われれば、地元の人たちが集うバスに乗り合わせることだ。たいていの家は自転車代わりに自家用車を使うので、バスに乗るのは平均年齢が(たぶん)九〇に近い老人たちで、免許を返納した住民たちである。午前中に二本しかやってこない路線バスの、お昼近いほうに乗ると、お婆さんやお爺さん数人が病院に向かう途中で、なんとなく話をしている。これが面白い。何を言っているのか、滅法わからない。方言であることはわかる。むろん日本語だ。だが、単語(名詞や形容詞)が置き換わっているとお手上げだ。私たちがふだん方言をいかに語尾で判断しているかがわかる。スマホに録音して、実家にもどって誰かに通訳してもらうしかない(じっさい、やってみた)。若い人が使わない語彙が多く含まれている。方言の原語とは、かくも難しい。
 古川真人の『港たち』には、方言がたくさん出てくる。舞台となっている長崎県、平戸の方言だ。登場人物たちは、饒舌に話す。むろん彼ら彼女らのほとんどは方言を話している。県外に拠点のある若い人は方言を話さない。たとえば、九〇の坂を越えた「敬子」はこんなふうに。
「そんな空色の、空色した飾り提灯を、仏壇の脇に吊るして。また、施餓鬼の支度も。水はもちろん、水菓子も、うん、とたくさん、宏くんは酒飲みじゃったばってん、ほかの者な、みんな、水菓子の好きやったけんかれ、甘いもな、あればあるしこお供えしてよかとはいっても、その仏壇のある二階の部屋には、もう敬子は足が弱り、上がれなくなっていた。」
 お盆のために集まった親戚たちや近隣の者たちが近くの海に手作りの小さな舟を流しに行く(精霊流し、という)表題作の一節だが、右の引用のうち、「好きやったけんかれ」は「好きだったからこそ」の意味であり、「あればあるしこ」は著者もルビをふっているが、「あればあるだけ」の意味。文芸批評的に右の引用で注目すべきなのは、敬子婆さんの内的な語りが地の文の語りと融通無碍に接続され、一文にまとめあげられている、いわば自由間接話法的書法が、古川の小説の実験性を構成しているのであり、そこを強調すべきだろうと思う。あるいは、本書所収の別の短篇「シャンシャンパナ案内」でも同じだが、登場人物たちが集まり、そして、ごく短い距離を移動する。人々は会話する。大きな事件など起こらない。集まって、話をして、ちょっとだけ移動して、散っていく。いわば無事件性とでも呼びたい事態がいったいどう読まれるべきか、が検討されてしかるべきかとも思う。
 だが、今回は措く。私はもう少し『港たち』で用いられている方言にこだわってみたいのだ。別の線を引こう。石牟礼道子の『苦海浄土』である。周知のように石牟礼の代表作には熊本の水俣弁が多く用いられている。たとえば――。
「舟の上はほんによかった。/イカ奴は素っ気のうて、揚げるとすぐにぷうぷう墨をふきかけよるばってん、あのタコは、タコ奴はほんにもぞかとばい。/壺ば揚ぐるでしょうが。足ばちゃんと壺の底に踏んばって上目使うて、いつまでも出てこん。こら、おまや舟にあがったら出ておるもんじゃ、早う出てけえ。出てこんかい、ちゅうてもなかなか出てこん。壺の底をかんかん叩いても駄々こねて。仕方なしに手網の柄で尻をかかえてやると、出たが最後、その逃げ足の早さ早さ。ようも八本足のもつれもせずに良う交して、つうつう走りよる。(中略)わが食う魚にも海のものには煩悩のわく。あのころはほんによかった。」(「池澤夏樹゠個人編集 世界文学全集 第3集」石牟礼道子『苦海浄土』)
「ゆき女きき書き」と題された章の一節。石牟礼が水俣病患者の「坂上ゆき」から「聞き書き」したものだが、九州の言葉に特有の助詞や接続詞を除けば、記述内容に理解できない箇所はほぼないと推測される。周知のように、『苦海浄土』には様々な種類の文章(行政文書やマスメディアの記事、診断書など)が収められている。「聞き書き」の文章は、患者個人の肉声として立ち上がるよう配慮されている。そして、そこには「フィクションとしての聞き書き」と石牟礼本人が呼んだ、理解しやすさへの装置が駆動してもいる。方言の原語性は薄められているのだ。ただし、聞き書きされた言葉は、あくまでも個人の内面を叙述するものとして機能しているように思う。
 さて、『苦海浄土』からの補助線を読んだあとに『港たち』の小説を読み返してみるならば、そこに溢れている方言の言葉が、個人へと還元されたり、あるいは個人の内面を開示するために用いられたりしているのではないことが、よく理解されるのだ。言い換えれば、ある種の共同性の言葉として機能している。たしかに話している個人の名前など、執拗なほど言及されてはいる。本書の冒頭には、「吉川家 家系図」として登場人物の一覧があり、二三人に及ぶ大所帯が明示されている。だが、彼ら彼女らの肉声を立ち上げるために方言は機能していない。その場にいる誰か(死者も含む)が発する声が流れる場として、小説はある。「声? だれの?/だれのでもないのだった。声が話している。とらえそこなった声が、だれかの声が、だれかの耳に辿り着くすべをうしなって、沈黙のうねりと、さわがしさの波のあいだを――海を――漕ぎ手のいない舟となって漂いだす。」
「声が話している」という表現の異様さに読者は震えることだろう。声は話さない。だがそうとしか言えない空間が、古川真人の平戸をめぐる小説にはある。個人に還元されない、方言=言葉の共同性が読者の心をざわざわと波立たせる。それはもしかしたら、午前の遅い時間、通院するために路線バスに乗り込んだ老人たちの、外部の者には意味不明の、原語としての方言が希釈されて漂っている、そんな風景とどこか似ているのかもしれない。