【書評】「あの頃」から「今」へ繫がる確かさ
藤田香織
一九八三年から二〇〇四年までの物語である。和暦では、昭和五十八年から平成十六年になる。
いきなり個人的な話になり恐縮だが、一九八三年、高校一年生だった私は、松田聖子より中森明菜派で、開園した東京ディズニーランドにいつ行けるのかヤキモキし、同じ高校一年生ながら甲子園で大活躍するPL学園の桑田・清原を見て野球経験者でもないのに嫉妬にかられていた。夏に発売されたファミコンを、三歳下の弟がクリスマスに買ってもらったこと。夏休み、朝ドラの「おしん」にはまったこと。戸塚ヨットスクール事件や、三宅島の噴火も同じ年の出来事だったと記憶している。
一九七〇年生まれの本書の主人公・真記は、このとき中学一年生。物語はその春から幕を開ける。
運送会社を経営する父と、事務方として支える姉さん女房の母、八つ下の弟・誠一と共に、広島県の尾道に暮らす真記は、小学生の頃から興味を持ち、独自に勉強をしてきた英語の教師になりたいと将来を夢見ていた。身長が高く、バレー部やバスケ部からの勧誘もあったが、部活はかねてから希望していた英語部に入部。容姿端麗で頭脳明晰な「秀才アイドル」と呼ばれる仲の良い友人もできたが、真記は心の奥底に、もやもやと晴れぬ思いを抱えていた。
父は、自らダンプに乗り砂利や土を運ぶ実直な社長だったが、社員は六名きりで、真記の家は裕福とは言い難かった。一方で、尾道から電車で十五分の距離にある三原に住む「本家」の伯父は、八十人ものパートと社員を抱え代々つづく鋳物工場を営んでいた。真記は小学生の頃から、この伯父夫婦の家に泊まりがけで遊びに行くよう促され、子どものいないふたりに、可愛がってもらっていた。ポンポンと買い与えられる腕時計やバッグ。両親にはねだれなかったラジカセやウォークマンまで、伯父は気安く買ってくれた。嬉しくないわけではない。でも、だけど。真記は、この伯父の優しさは、自分を養女にするつもりだからではないか、と察していたのだ。
両親や伯父さんに、はっきりと言われたわけではない。けれど、その場に確かに流れている微妙な空気を、真記が感じとり、思い煩う場面に胸が痛む。弟の誠一がいなければ、自分が養子に出される話が持ち上がることもなかっただろう。父も母も、やはり自分より誠一のほうが大事なのか。でも、だからといって誠一を憎む気持ちはない。弟ができたときのうれしさを、真記はよく覚えていて、だからこそ言葉に出せない気持ちが膨らんでいく。
〈こんなにかわいがってもらっている三原のおじさんとおばさんには申しわけないが、どこでどうやって生きていくかは自分で決めたいと、真記はおもうようになっていた。かなうなら、英語の力でお給料を稼ぎ、誰の世話にもならずに暮らしたい〉
そう思い至った少女が、三十三歳になるまでの歳月の全てが綴られるわけではない。収められた四章で明かされるのは、第一章では、先述した養女問題から、東京の私立大学への進学を目論み策略を練る高校時代まで。第二章では、無事に大学進学を果たし、授業料以外の家賃を含めた生活資金を賄うため中華料理店と観光通訳のアルバイトに奔走するも、青天の霹靂ともいえる「家の事情」で終わりを告げるわずか一年半の東京暮らし。第三章では、英語教師になる夢を捨て、周囲からは「天職」と呼んでもらえる看護師の職に就いた真記が、シップナースとして乗り込んだ、都合三十日に及ぶ豪華客船でのハワイ旅が描かれる。
そして最終話の第四章では、三十三歳になった真記の「これまで」と「これから」が提示されるという構成だ。
先に、個人的な一九八三年の記憶を記したが、読みながら、ほぼ同世代であるはずの真記が歩むこの約二十年と、自分が過ごしてきた時間の違いに何度も驚かされた。真記が生きる日々には、あの頃話題になったNTT株の上場も、テレビや雑誌で繰り返し取り上げられたマハラジャも、クリスマスの赤プリも出てこない。一万円札をひらつかせてタクシーを止める男も、ワンレン、ボディコン、ハイヒールで武装した女も現れない。六本木や青山、代官山や広尾といった人気だった街の名前さえ皆無だ。真記は、ただただひたすらに学び、働き、金を工面して奨学金を返済していく。
けれど、本書は決して、辛いだけの青春記ではないのだ。
まだこどもだった真記に父が告げた言葉が、彼女の胸の奥に響き続ける。
〈「ええか、大人には大人の事情がある。多少は気になるじゃろうが、こどもは知らん顔をして、よくあそび、よく学べばいい。そして、世のなかに放りだされても生きのびていけるだけの力を、どうにかして身につけるんじゃ。それは男も女もかわらん。ぜったいに、あきらめるな」〉
世のなかには、いや、人生には、どれほど頑張っても、自分ひとりの力では、どうすることも出来ない物事がある。足搔くことは大事だが、足搔き続けることのリスクを知ることも生きていくには大切だ。
憧れて、懸命に努力して、なんとか摑み取ろうとしていた夢を、親の都合で諦め捨て去ると決める真記の決断の速さがいい。それからの長い長い時間を、恨みがましく、辛気臭く費やさず、病院の寄宿舎に十三年も居つきながら、自分の居場所を固めていった真記の強さを思う。
バブル期へ向かう熱に浮かされ、はじけた泡の残骸を拾い集めるように、ふわふわと浮足立ったあの時代に、のみ込まれることなく、地に足をつけ生きる姿が、今の自分の足元を見つめ直す活力になる。
読後、真記が歌う『上を向いて歩こう』が、耳に残った。新しい年に読んでほしい、不変の物語である。