わたしに会いたい

わたしに会いたい

著者:西加奈子

『くもをさがす』の西加奈子が贈る、8つのラブレター。
この本を読んだあと、あなたは、きっと、自分の体を愛おしいと思う。
「わたし」の体と生きづらさを見つめる珠玉の短編小説集。

ISBN:978-4-08-771849-2

定価:1,540円(10%消費税)

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刊行記念インタビュー 西加奈子

【書評】当事者性の冒険

山崎ナオコーラ

 ここ数年で「当事者性」という言葉を目にする機会がぐんと増えた。
 何かの社会問題について知りたいとき、「当事者の言葉に耳を傾けることが大事だ」と言われる。
 映画や演劇にマイノリティの役がある場合、「当事者性のある俳優が演じるべきだ」とされる。
 ものを書く場合でも、書き手が当事者か否かが問題になる。
 私は西加奈子さんの書籍化されている作品はすべて読んでいる。これまでの西さんの作品には、作者っぽい人が登場したり、作者の考えがストレートに出てきたり、といったことはあまりなかったと思う。
 ……と書くと意外に思われる読者もいるかもしれない。西さんを評して「顔文一致」という言葉が使われるのを聞いたことがあるし、一人称の語りが多いし、言葉の動きが直球だし、西さんの小説は西さんらしさであふれている。もちろん、西さんは自分をさらけ出してきたのだ。ただ、「小説は読者のもの。読者は小説を読みたいんだ。読者は私を知りたいわけじゃない。だから私自身は遠くにいよう」といった含羞のようなものが滲んでいる、と私は感じていた。西さんは、真摯に小説に向かい合い、真っ直ぐに言葉を綴る。それでいて、作品と自分自身との間にある絶妙な距離は保っていた。
 だから、新作『わたしに会いたい』を読み、意外に感じた。距離が揺らいでいる。
 表題作「わたしに会いたい」は、ドッペルゲンガーという、「分裂する自分」の現象を書いた作品だ。
 ドッペルゲンガーが出てきた途端、ピンと来た。そうか、西さんは新しい冒険に出たのだ。「自分とは何か?」「自分というものがあるとしたら、どこからどこまでがそれなのか?」「体は本当に自分のものなのか?」。「わたし」も「モト」も、決して西さんっぽくはないが、作家が作品に顔を出している雰囲気がそこかしこにただよう。「作者が顔を出す」、それは少し前の文学シーンではNGとされていたし、これまでの西作品でもありえなかった。でも、読んだり書いたりする行為には必ず肉体が伴う。読者は自分ありきで読書をしている。作家も自分ありきで小説を書いているのだ。自分が書くのだ。そういう覚悟が感じられる文章運びだ。
 読みながら、私にもドッペルゲンガーがいるような気がしてきた。多くの読者が、孤独の中で生きており、孤独を解決する方法を探すために読書に臨む。私も孤独だ。誰かに会いたい、と思い、本を読んできた。その会いたい誰かというのは、自分自身でもいいのだ。そう、ドッペルゲンガーだ。いつかドッペルゲンガーに会おう。それを目標に生きてもいい。誰にでも自分はいる。友人や恋人や家族はいなくても、自分がいる。自分というのは実はかなり遠い存在で、一番面倒くさい相手なのかもしれないが、生きて死ぬまでの間ずっと、自分には自分がいる。そう考えると、思っていたより、人生は寂しいものではないのかもしれない。
「あなたの中から」は「あなた」への語りかけで綴られる。「あなた」の物語であり、「あなた」が主人公なわけだが、それでは誰が語っているのか? 徐々にわかってくるが、この語りは、主人公自身の一部でもあり、主人公にとって異質な存在でもある。「複雑な自分」が語る。
「VIO」は、黒い色のみに反応する機械でレーザー脱毛を行なったところから、差別や戦争について思考が伸びていく作品だ。ミュージシャンもそうだが、作家も若い頃は小さな恋愛について書いていたのが、年を重ねると社会問題や環境問題にどうしても関心が移るし、差別や戦争について書きたくなる。だが、当事者性があまりないことを書いていいのか、と考え込み、良いことをしているかのような振る舞いになっていないか、と恥ずかしさも覚える。いや、他の仕事をしている人だって、自分がこの問題について考えて良いのか、語って良いのか、と「当事者性のない自分」についてきっと悩んでいるのに違いない。
「掌」には、「自分の性別はどこにあるのか?」が描かれる。シスジェンダーでも「女性」は現状の社会の需要に応える行動をさせられる。トランスジェンダーは、現状の性別システムの中で位置を示すように求められる。作家の場合、見た目で「女性」と判断されると、「女性」としての当事者性を大事にして書いていると誤解される。自分の話で恐縮だが、例えば私はノンバイナリーの作家で、見た目だけで判断されているときは「『女性』として『男性』に言いたいんですよね」という批評しか出なかったし、ノンバイナリーだと公表すると「ノンバイナリーの説明をしてください」「ノンバイナリーもカテゴリーの一つですよね」と問われた。今、性別は社会の側にある。自分の性別を、自分で取り戻す作業をしなければならない。
「Crazy In Love」では主人公の生年が語られるが、それは作者の生まれ年と同じで、読者が作者と重ねることを前提として書き進めているとしか読めない。また、「あなたの中から」「あらわ」もそうだが、がんの話だ。西さんの一つ前の著作は『くもをさがす』で、それはカナダでがんになった自身の経験を綴ったドキュメンタリーだった。『くもをさがす』はたくさんの読者に愛され、今も売れ続けている。だから、『わたしに会いたい』は、〝がんサバイバー〟である著者による新作小説集だ、と読まれる可能性が高いことを西さん自身わかっていたはずだ。私は新作小説が出ると聞いたとき、きっと他のテーマだろう、「がんの話は書かないだろうな」と予想していた。書くとしても数年後なのではないか、と。だから、今回の小説集に何度もがんのテーマが出てくることに驚いた。今すぐ書くべきだ、と思ったのだろう。大抵の作家は登場人物と自身を重ねて読まれることに悩む時期があるものだが、「自分と重ねられても構わない」と覚悟を決めたわけだ。このことにも、西さんの当事者性に対する意識の変化が感じられる。
 西さんの冒険を、これからも追い続けたい。