長くなった夜を、

長くなった夜を、

著者:中西智佐乃

コールセンターで派遣社員として働く関本環。両親はともに高校教師で、環は幼いころから厳格な父親の教えに従い生きてきて、38歳になった現在も夜9時の門限を守っている。
そんな環とは対照的に、両親に反発し自由奔放な妹の由梨は、離婚した夫との間に公彦という男児がおり、実家に戻ってパートとバイトを掛け持ちしながら暮らしている。環はそんな妹に代わり、公彦の世話をしているうち、居なくてはならないかけがえのない存在になっていた。
そんな時、由梨は両親と決別し、実家を出てマンションで暮らし始める。公彦の様子が気になり、両親が寝静まった後、毎夜のように妹のマンションを見に行く環だったが、由梨が公彦を置いて男と出かけ行くのを目撃してしまう。心配の果てに、環は以前父が放った「ある言葉」に突き動かされ、突発的な行動に出てしまい──。家族というコミュニティーが抱える闇を露わにした問題作。

ISBN:978-4-08-771896-6

定価:1,650円(10%消費税)

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【書評】可視化されにくい暴力の鎖から解き放つ

石井千湖

「あなた」はなぜ逃げないのだろう。牢獄のような家から。『長くなった夜を、』は、見えない鎖に繫がれた人の話だ。
 作者の中西智佐乃は、二〇一九年「尾を喰う蛇」で新潮新人賞を受賞。二〇二三年、「尾を喰う蛇」と表題作を収める『狭間の者たちへ』を上梓した。『長くなった夜を、』は二冊目の単行本だ。主人公の「あなた」――関本環は、三十八歳の派遣社員。企業のコールセンターで顧客のクレーム電話に対応している。実家で両親と妹の由梨、甥の公彦と暮らす。シングルマザーの由梨は毎日帰宅が遅く、三歳の公彦の寝かしつけや保育園のお迎えは環の担当だ。父の教えを従順に聞き、母を手伝い、給料はほとんど家に入れる。生真面目な環の日常が崩壊していく過程を語る。
「あなた」という二人称は、語られる対象と読者をダイレクトに接続する。「あなた」と呼びかけられた時点で、読んでいるわたしは半ば強制的に環になるのだ。環の視点で見る世界は、あまりにも息苦しい。家庭環境は一見「普通」だ。両親の職業は教師。父は一年前に胃がんの手術をして自宅療養しているようだが、母は嘱託で高校に勤めている。同業で共働きなのだから、対等な関係になってもよさそうなものだが、母は何をするにも父にお伺いを立てる。家父長制的な家族なのだ。由梨は両親に反抗して一度家を出ていったが、幼い子供を抱えて離婚したので戻ってきた。
 父は「言うことを聞かなければ無視する」という透明な暴力で家族を支配する。環が子供のころのエピソードで、帰ってきた父の足元に突っ伏して許しを請うても〈手を踏んで家の中に入っていった〉というくだりが生々しい。それから、自分が本当に存在しているのかどうかすらわからなくなった環は、痛みによって存在を実感できるように自分を殴る。壁に何度も額を打ちつけても両親は何も言わない。手にしたはさみを自分の顔に突き刺そうとして初めて、母が環を止めて、父は大声を出す。異様だ。
 父の意思を察して内面化する母の〈頑張るの顔〉も恐ろしい。例えば、幼い環が教えられたことを守れないとき、〈両肘を握り、身体の横に強くつけ、目を大きく見開き、唇をぐいと横に伸ばす頑張るの顔をした〉という。環が大人になっても、母は自分が何かに耐えていることをアピールしたいとき〈頑張るの顔〉をする。お母さんも頑張っているのだからあなたも頑張りなさいという「呪い」を継承する顔である。
 環は父の望むとおり幼稚園教諭になったが、職場にうまく適応することができず、身体を壊して退職した。そして、母のすすめでコールセンターに入った。日給八四〇〇円で見知らぬ人の苦情を聞く生活。環を支えているのは、三年間抱っこしてきた公彦の温もりだった。ところが、由梨は公彦を連れて再び家を出て行ってしまう。
 父は母を介して環に幼稚園教諭に復帰するよう求めるが、トラウマがある環はなかなか動けない。母が〈なぁ、やる気あるんか? 環ちゃんのお友達はみんな、結婚して、子どもを産んで、それでも一所懸命働いているのに、あんたはそのままで恥ずかしくないんか〉と詰問する場面にぞっとする。母は〈こんなんやったら、由梨みたいにデキ婚でもすれば良かったんや。それやったら、まだ普通に近づいた!〉とも言う。さらに不気味で戦慄するのが、その後の父の〈もう三十八やったら悪くなっとるから早くしなさい〉というセリフ。〈悪くなっとる〉というのは、子宮のことなのだ。「モームリ!モームリ!」という退職代行会社のアドトラックから流れる歌を思い出した。家族をやめることも、代行してくれるところがあればいいのに。
 この両親に特別悪意があるとは思わない。恥ずかしくない職業に就いて結婚して出産するという、自分たちの価値観において「普通」のことをできるようになってほしいだけだろう。「普通」に育たなかった娘たちに苛立ち、「普通」の親になれなかった自分たちに苛立っている。その矛先が環に向かう。無視される恐怖と煩わしさに負けて、ある時期から自分の頭で考えることをやめた環は、どうしたらいいのかわからない。どんなに理不尽でも父は正しいという教育によって、逃げたいと思う力すら奪われている。癒やしだった公彦と引き離され、心の回復も不可能になった環は、過食嘔吐を繰り返すようになっていく。
 本書は『狭間の者たちへ』と対をなす作品と言っていいだろう。「狭間の者たちへ」と「尾を喰う蛇」の主人公はともに男性で正規労働者だが保険営業と介護士で、過酷な仕事のわりに生活するのがやっとの収入しか得られない。それでも家父長にならなければという抑圧があり、抑圧から逃れるためか逸脱していく。「狭間の者たちへ」の主人公は通勤電車で触らない痴漢行為に耽り、「尾を喰う蛇」の主人公は老人を介護する際に力をほんの少し強めに加える。いずれも弱者相手の陰湿な暴力だ。新人賞を受賞したときのインタビュー(「新潮」二〇一九年十一月号掲載)で、中西智佐乃は今後書きたい題材をいくつか挙げたあと〈しかしやはり「暴力」と「貧困」というテーマは、絶対に出てきてしまうと思います〉と語っている。その暴力と貧困は社会の構造的なものから出てくるのではないかという問いや、可視化されにくい暴力と貧困を圧倒的なリアリティで描いているところが作品に共通する特色だ。
『狭間の者たちへ』の登場人物と違って、環の暴力は徹底して自分に向かう。暴食の描写は精細で胸が塞がるけれども、奇妙な魅力もあって読まされる。自分には何もないと思っている環が、困難に直面するコールセンターの同僚に手を差し伸べるくだりもいい。一つひとつの苦しみを蔑ろにせず掬い取ることで、「あなた」は何でもない人間ではない、確かにここに存在する、ということを伝えて解き放つ。