内容紹介
「自分の子供の頃はどんなだったのだろう。ということがいきなり気になってしまった。子供心にも謎の多い家でそだったからだ。とくに『岳物語』の主人公が、六年生になったあたりで書くのをやめたのがずっと気になっていて、自分はその年齢の頃に、いったい何をして何を考えていたのだろうか、ということがえらく気になった。自分がいた「私小説」の世界はどうもいろんなところが暗くくすぶっている」(あとがきより抜粋)
【書評】あとがきに込められた「家族」への想い
吉田伸子
本書は、三年前に刊行された『家族のあしあと』の続編であり、『岳物語』から始まった、椎名さんの「家族シリーズ」の締めくくりとなる一冊だ。
前作では、椎名さんの幼年期から小学生までの椎名家の話が描かれていた。世田谷の三軒茶屋から千葉県の酒々井へ、さらにそこから同じ千葉県の海沿いの町、幕張へ。この幕張で、椎名さんは高校卒業までを過ごすのだが、本書で描かれるのは小学生から中学生までの話だ。
前作の背景にうっすらと萌していた、戦後の影、は本作ではもうない。今と比べれば、まだ押し並べて日本が貧しかった頃ではあるけれど――昭和三十三年が舞台となっている、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』を想起されたい――、豊かな未来の背中も見え始めていた。そんな時代の物語だ。
前作にも登場したつぐも叔父が、つがいの鶏を持ってくるところから、本書は幕を開ける。つぐも叔父がニワトリ小屋を作る間、椎名さんはジョン(犬)とハチ(猫)とともに、その様子を見守るのだけど、こういう何気ないシーンがいい。なぜなら、そういうごく些細な場面場面が、日々を彩るものであり、あとになって、かけがえのない時間だった、とわかるものだからだ。ありあわせのつましい材料だとしても、それらが形をなしていくのを見る、わくわくした気持ち。そういう幸せな記憶に、本書は満ちている。
もちろん、幸せな、だけではない。前作で明らかにされたように、椎名家にはちょっと複雑な事情がある。まだ幼かった椎名さんには知ることができなかったその事情が、前作でも少しずつ明かされてはいたが、それは、椎名家の〝外側〟のことだった。本書で描かれるのは、〝内側〟のことだ。
なかでも、一番大きなことは、椎名さんのすぐ上のお兄さんのこと。家に寄り付かなくなっていた(とはいえ、椎名さん母はその所在を把握していた)次兄は、椎名さん母が自宅で日本舞踊の教室を開くにあたり自室を奪われてしまう。「生きていくためだから仕方がないのよ」と詫びる母に、次兄は「くだらない家だ」と吐き捨てるように言い、家を出ていってしまう。
やがて、大学生になり家からも家族からも、ますます遠ざかっていたその次兄が、ある日、突然帰ってくる。椎名さん母は、次兄のために、好物の五目まぜごはんを沢山作るのだが、その真夜中に事件は起きる。次兄が大量の睡眠薬を服用したのだ。一命は取り留めるものの、後遺症が心配された。救急で入院した病院では「治療の質が伴わない」ため、後に、電車で一時間ほど山のほうにいった病院に転院することに。
ここから、次兄を見舞う母親に椎名さんが付き添う場面が、椎名さんの日々に時折折り込まれるようになる。中学生になっていた椎名さんには、次兄が起こしたものが、「自殺未遂」であることは分かっていたし、その後遺症で入院していることも、椎名家の「秘密」であることは分かっている。けれど、では何故、次兄がそんな行動を起こしたのか、には触れない。椎名さんが描くのは、お見舞いでの母親と次兄との会話であり、入院後も、そこはかとなく心に不安定なものを抱えている次兄の姿、だ。けれど、その淡々とした描写に、かえって心の奥がぎゅっとなる。
次兄のこの事件は、椎名さんの無邪気な少年期の終わりとも重なるように思う。中学生という思春期の入り口で受け止めるにはちょっと重たいものだったはずだ。
そんな椎名さんに追い討ちをかけるように、もう一つの事件が起こる。それが、ジョンとの突然の別れだ。ジョンが突然いなくなったのは、椎名さん母のせいで(詳細は実際にお読みください)、それはもう、誰がどう聞いても、椎名さん母が一〇〇〇%良くない。読んでいても、ちょ、ちょっとお母さん、それはあまりにも、あまりです! と思えてしまうほどなので、当の椎名さんの、憤懣やる方ない気持ちは察して余りある。その事件以降、椎名さんは「母親と口をきかないことに決め」るのだ。
この事件は、恐らく椎名さんの反抗期の幕開けにもなったのではと思う。折しも、椎名さんは中学生男子。中学生男子にとって、母親といえば、この世で一番デリカシーがなく、この世で一番うざったくお節介で、この世で一番相手にするのが嫌で面倒な生命体、なのである(私自身、かつて中学生男子の母親だったので、これは確信を持って言えます)。
本書は、この事件の少し後で、終わっている。その後、椎名さんと椎名さん母がどうなったのか、は描かれていない。入院中の次兄のその後も描かれていない。なので、読んでいる方としては、その顚末が気になってしまうのだが、そのことは巻末に寄せられた椎名さんの「あとがき」を読めばわかる。
この「あとがき」、本当に素晴らしいのです。言葉は悪いかもしれないけれど、この「あとがき」を読むだけでも、本書を読む価値はある、と思う。本書のあとがきとして、だけではなく、「家族シリーズ」全体のあとがきになっていることがまず一つ。もう一つは、前述の、椎名さんと椎名さん母のことと、次兄のこと。あとがきの最後の一行を読んだ時、私は思わず胸が詰まってしまった。この一文こそ、椎名さんだ、と思ったし、椎名さんが「家族シリーズ」で描いてきた、〝椎名家サーガ〟が凝縮されている、と思った。
読み終えて、不意に本書のタイトルに思い至る。「あしあと」とは、「来し方」につくものであることを。現在進行形で描かれてきた「家族シリーズ」の中で、前作と本書だけ、過去形で描かれていることを。そこで、気づくのだ。私たちは、「家族」というものの意味を。その祝福を。