【書評】みんなが「きらめき」を放っている
斎藤美奈子
李琴峰の作品タイトルはなぜ天体なのだろう。『五つ数えれば三日月が』は月でしょ、『ポラリスが降り注ぐ夜』は北極星ですよね。そして今度の新作は『星月夜』。この表題で有名なのはゴッホの絵で(読み方は本来の日本語である「ほしづきよ」ですけど)、「星月夜」で画像検索をかけると「あ、これか」と誰もが思うであろう名画が出てくる。
さて、物語は二人の女性が交互に語り手をつとめるかたちで進行する。
柳凝月は台湾出身。日本の大学院で日本語教育学の修士号をとり、同じW大学の非常勤講師として四年前から留学生に日本語を教えている。郷里の父には怒鳴られた。〈大学院まで行ったくせに、結局アルバイトしかできないのか〉。賃金が安いので、翻訳のバイトをしながら辛うじて食いつないでいる。
玉麗吐孜(日本での愛称はユルトゥズ)は新疆ウイグル自治区出身。イスラム教徒である。ウルムチの大学を出た後、出身大学の化学科で研究アシスタントをしていたが、女性が研究者になる道は閉ざされていると知って故郷を離れた。いまは凝月が教える大学で日本語を学び、学内のコンビニでバイトをしながら、大学院への進学を目ざしている。
新天地を求め、故郷を半ば捨てるようにして日本に来た二人は、恋に落ちる。
だが非常勤とはいえ自立して、自由な生活を謳歌する柳凝月に対し、屈託を抱えた玉麗吐孜は〈あなたには分からないんだよ〉というのである。〈私は何度も思ったよ。自分が男だったら、あるいは異性愛者だったら良かったのにって。そうしたら誰も悲しませずにすむのに〉
背景が違えば悩みの質も異なる。
〈私が生まれたのは、とても小さな小さな村だった。七割の住民が知り合いのような村だったんだ。そんな村では秘密なんてものはなかった、子供が結婚適齢期になると仲人が勝手にやってきて相手を紹介してくるような村だった。同性愛者なんて聞いたこともなかった。もし本当に誰かの家にそんな人がいたら、それは不倫よりも未婚出産よりも恥ずべきことだったんだよ〉
思い返せば李琴峰のデビューとその後の活躍は、初手からちょっと衝撃的だった。「ねえ知ってる? あなたたちが見ている世界はおそろしく狭いから。そんなんじゃないから、ほんとの世界は」。ニヤッとしてそう宣告された気分だった。
国籍は日本、母語は日本語。生まれたときの性別と性自認が一致しているシスジェンダーで、異性を恋愛対象とするヘテロセクシュアル。日本の文学はそういう人ばっかりを当たり前のように生産してきたのである。たまに外国人や同性愛者やトランスジェンダーの登場人物がいても、多くは「異端」ないしは物語の「彩り」止まり。そんなモノクロの日本文学を、李琴峰はレインボーカラーに塗り替えたのだ。
セクシュアリティもさることながら、ここで描かれているのは、言語と民族のちがいから来るもどかしさの数々だ。
大学院で音声学と音韻論を専攻し、たぶん日本語を母語とする日本人より日本語に精通した凝月と、一年近く勉強はしたものの、複雑な内容の意思疎通は難しく、日本人に早口でまくしたてられたらお手上げのユルトゥズの日本語力の差は大きい。知らず知らずに柳凝月はユルトゥズの庇護者のような気分になり、いずれは一緒に暮らして同性婚を認めている台湾で結婚して……みたいな夢を描くが、ユルトゥズは凝月ほどには気を許していない。彼女が抱える事情には複雑な政治がからんでいるのだ。
〈新疆は古くから独立運動の動きが絶えない上、近年も民族紛争による騒乱が何度も起こっているから、ずっと中国政府に目をつけられている。世界各地で頻発するイスラム過激派によるテロ攻撃は、火に油を注ぐように政府の警戒を強めた。私が日本に来て間もなく党委書記が代わり、それ以降状況はひどくなる一方だった〉
一度故郷の新疆に帰ったら、二度と出国できないかもしれない……。
彼女らの、別の女友達との関係が、どれもすっごくいいのよね。
日本語教師として台湾にわたり、現地の男性と結婚することになった凝月の友人・実沢志桜里。披露宴の招待状の名が「實澤志櫻里」になっているのを見た凝月は、微かな違和感を覚え、台北で開かれた披露宴で、台湾式の赤ではなく、あえて日本式の白い祝儀袋を渡した。
ユルトゥズはといえば、ルームシェアをしていた上海人の留学生・李倩は部屋を出ていくし、バイト仲間の小谷絵美とは半分しか日本語が通じない。それでも絵美はいつもユルトゥズをかばってくれる。終盤、とある事件を機に「われ関せず」に見えた絵美の存在が突然きらめきを放つ。〈柳先生がユルトゥズさんと話をされているのを見て、本当に羨ましかったです。私には理解できない言語でお二人はちゃんと分かり合っていましたね〉
古い友人には月ちゃんと呼ばれている凝月。星を意味するユルトゥズという愛称。〈大きな明るい満月と、小さな無数の星。そんな夜空を見ていると、月こそが主役で、それを取り囲むように散らばる星々は主役を引き立てる脇役に過ぎないといった錯覚に陥る〉。だが実際には〈星々は常に自力で光を放っている〉。
前作『ポラリスが降り注ぐ夜』は李琴峰の集大成というべき作品だった。新宿二丁目のレズビアンバー「ポラリス」に集う七人の女性は国籍も背負っている歴史もセクシュアリティもばらばら。北極星を中心に回る満天の星空のようだった。
『星月夜』は星と星との関係性の物語である。あらゆる星が天体望遠鏡で見たときのように明るく浮かび上がる。すべての登場人物を好きにならずにいられない。