犬のかたちをしているもの

犬のかたちをしているもの

著者:高瀬隼子

第43回すばる文学賞受賞作 昔飼っていた犬を愛していた。どうしたら愛を証明できるんだろう。犬を愛していると確信する、あの強さで──。

ISBN:978-4-08-744427-8

定価:550円(10%消費税)

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【書評】人と人との距離

瀧井朝世

 第四十三回すばる文学賞の受賞作は、高瀬隼子の『犬のかたちをしているもの』だ。奇妙な提案を受けた三十歳の女性の戸惑いを主軸にしつつ、現代の恋愛観や家族観についてのさまざまなテーマを含んだ作品になっている。
 四国出身の間橋薫は、現在三十歳。大学進学で上京し、卒業後はそのまま東京で就職し、仕事を介して出会った塾講師の郁也とつきあって三年。現在は半同棲状態である。以前から恋人ができても、交際してしばらくするとセックスが嫌になってしまうのだが、郁也には交際前にそのことを告げており、お互い了解済みのセックスレスカップルである。また、薫は大学生時代、卵巣の腫瘍を切除する手術を受けており、現在も定期的に検診を受けている。
 その日、郁也と待ち合わせたドトールに行くと、そこには彼とミナシロという女性がいた。二人は金銭のやりとりをした上で何度かセックスしたことがあり、その結果ミナシロが妊娠したのだという。薫も読者も別れ話を持ち出されると予感するわけだが、ミナシロは意外な提案をする。自分は子どもが嫌いだが中絶は怖いので、産んだら二人が引き取ってくれないか、というのだ。そもそも薫は郁也と婚約すらしていないが、突然、夫婦となるのか、子どもを引き取るのか、あるいは別れるのか、という選択を迫られる。郁也が他の女性とセックスしていたことも、彼女には「子どもがほしい」と言っていたことにも、自分の卵巣の病気について話していたことにも、薫はショックを受ける。つい「そんな男とは別れればいいのに」と思ってしまうが、著者は、そう即決できない主人公像を、丁寧に作り出している。
 まず先述の通り、セックスがあまり好きではない、ということ。薫には、過去にそのことで恋人に泣かれた経験まである。そんな自分を受け入れてくれている郁也は心地のよい存在であり、もちろん愛情も感じている。だからこんな裏切りにあっても、簡単に別れられるわけではない。
 次に、卵巣の手術を受けていること。病気の発覚以来、薫は毎日子どものことを考えるという。〈子どもがほしいと思ったことはないし、好きではないから今後も積極的にほしくはならないだろう、けどそれでいいの?〉。考えて行きつく先はいつも「それでいいの?」で、答えは出ない。だからこそ、突然訪れた子どもを持つ機会に心が揺れるのだ。
 また、田舎の家族と仲が良いことも大きいだろう。提案を受けて彼女の頭に浮かんだのは、両親や祖母の喜ぶ姿。地方で家族と仲良くしてきたのなら、おそらく、女性は将来結婚して子どもを産む人生が当たり前、という価値観が彼女のなかにも刷り込まれているとも思われる。
 そうした薫の個人的な背景があるものの、彼女の置かれた状況から差し出される問いは、決して個人に限定されるものではない。
 まず素直に感じるのが、恋愛とはなんだろうという問い。薫はしばしば恋人への愛情と、かつて実家で飼っていた犬、ロクジロウへの愛情を比較する。彼女にとって、ロクジロウに注いだ愛情が最上のものなのだ。見返りを求めていないわけではない。ただ、その見返りとは、ロクジロウが幸せであることだった。郁也に対する愛情はそれとはまた違う。そもそも愛情の質が違うといってしまえばそれまでだが、では、恋人を愛するとは、どういうことなのか。
 次に、恋愛は必ずセックスや、結婚や出産へと繫がるものなのだろうかという問い。昨今は未婚率も上昇し少子化も進む一方だが、まだまだ、結婚して家庭を持つのが当然という風潮は根強くある。それを果たさずにいると周囲に何か言われたり、本人が劣等感や欠落感を抱くのは、ある種の同調圧力が存在するからではないだろうか。「自分はこう生きたい」という強い意志もなく、生き方の選択肢を多く知らない場合、人は多数派の価値観に流されがちだ。ミナシロが産むと決めたことについて「なんか、クリアした感じ」と言うのも、「女は子どもを産むもの」という古くからある価値観の影響と考えられなくもない。
 他にも、地方の地域社会の人間関係の息苦しさ(薫の回想場面での北見さんのお父さんのおぞましさ!)、ミナシロがしばしば語る出産にまつわる女性の負担の大きさ、薫の職場の人間模様やキャリア&転職問題など、人によって強く心にひっかかってくる部分はさまざまだろう。
 そして少しずつ浮かび上がるのは、今の時代において、人と人との精神的な距離の理想はどこにあるのか、という問いだ。薫は東京の人びとの無関心さに安心をおぼえる一方、ミナシロ問題について相談相手がいないことに途方に暮れる。学校や職場など居場所が変わる度にそれまでの友人との親密度も変わるなか、〈なんにも共通する所属がなくなった後で、それでもわたしと会いたいと思う人なんていない、って思う〉と薫は心の中でつぶやく。確かに、生活の変化によって親しかった相手とも話が通じなくなることは誰にでもある。生き方が多様化する現代、個々の価値観にグラデーションが生じるほどに、他人同士が共有するものは少なくなり、人と人との距離は離れていく。そんな社会で他者と共存するとは、どういうことなのか。これからの時代を生きていく上での大きな課題でもある。
 だからこそ、もしもみんなが理解しあって笑って大団円という結末にたどり着いたら、古臭い話だなとガッカリするところだった。そんなことはなかった。一連の出来事を経て薫は変化するが、でも、今後も、彼女は根本的には彼女のまま前に進んでいくのだろうと思わせてくれる。そこに、この小説の大きな魅力がある。
 敏感さと繊細さを持ち合わせ、確かな言葉選びで、今の時代の心の揺れを描きだせる作家がまた一人増えた。