生のみ生のままで(上・下)

生のみ生のままで(上・下)

著者:綿矢りさ

【第26回島清恋愛文学賞受賞作】
「私たちは、友達じゃない」
25歳、夏。恋人と出かけたリゾートで、逢衣(あい)は彼の幼なじみと、その彼女・彩夏(さいか)に出逢う。芸能活動をしているという彩夏は、美しい顔に不遜な態度で、不躾な視線を寄越すばかりだったが、四人で行動するうちに打ち解けてゆく。
東京へ帰った後、逢衣は彩夏と急速に親しくなった。やがて恋人との間に結婚の話が出始めるが、ある日とつぜん彩夏から唇を奪われ、「最初からずっと好きだった」と告白される。
彼女の肌が、吐息が、唇が、舌が、強烈な引力をもって私を誘う──。
綿矢りさ堂々の新境地! 女性同士の鮮烈なる恋愛小説。

ISBN:978-4-08-744395-0

定価:616円(10%消費税)

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【書評】ただ一人の相手に巡り合う奇跡

吉田伸子

 第一印象は最悪。だけど、それが徐々に……という設定は、こと恋愛小説においては定番中の定番だ。恋愛小説ではないけれど、『赤毛のアン』のあの、ボーイミーツガールの古典的な名場面――赤毛であることをからかわれたアンが、石盤でギルバートの頭をぶっ叩く――がそうであるように。本書の場合は、主人公の逢衣が彩夏と出会う場面がそうだ。恋人の颯と訪れたリゾートホテルには、颯の幼馴染みである琢磨も恋人を伴い訪れていて、二組のカップルは挨拶を交わす。如才なく言葉を繫ぐ逢衣とは対照的に、琢磨の恋人である彩夏は、挨拶どころか一言も話さず、サングラスを外すことさえしなかったのだ。

 私は人見知りのタイプではないから、大概の女の人となら初対面でも平気なのだが、あの女性は厄介そうだ。美人に多い、その場にいる全員がちやほやしないと臍を曲げてしまう根っからのお姫様体質で、褒めそやさないかぎりは会話が成立しないタイプかもしれない。でもプライド高そうだからそもそも彼氏以外と一緒に遊ぶとか拒否しそうでもあるな(……)

 これが逢衣の彩夏に対する第一印象に基づいた分析だ。ざっくり言うと、〝ヤな女〟である。友だちにだってなりたくない、できればかかわりたくない。でも、恋人の友人の連れだから、夜に自分たちの部屋で一緒に飲みませんか? という颯の誘いに応じて二人が部屋にやって来た時も、逢衣は自分の本心を隠して、感じよく振舞っていた。さすがに夜はサングラスを外していた彼女は、実は芸能人の荘田彩夏であり、「ドラマに出だしてからは結構人目につくようになって」いたこともわかる。彩夏の無愛想はそのせいなのか、と納得しつつも、冷淡な態度を崩さない彩夏に、心の中で距離をとりつつ、颯の世話を焼く逢衣。そんな逢衣に不躾な視線を投げかけてくる彩夏。あまりにじろじろ自分を見る彩夏に「どこかでお会いしたことありましたっけ?」と多分に棘を含んだ言葉を向けても、「ないでしょ。少なくとも私は記憶にない」とけんもほろろ。
 そんな二人の距離は、あるアクシデントによって、突然縮まる。四人で海で遊んだ帰り道、突然の雷雨に見舞われ、颯と琢磨がホテルへ助けを呼びに行く間、彩夏と二人で残されたのだ。祖父が落雷で死んだこと、「次はお前の番だよ」と母親から呪詛のような言葉を投げ付けられたが故に、雷に対して過剰なほどの恐怖心を持つに至ったことを打ち明けられた逢衣は、ずぶ濡れの彩夏を抱きしめながら、他人を寄せ付けないような言動の裏にある、彩夏の内面の柔らかな部分に触れた気がした。そこから始まった。
 本書で描かれているのは、逢衣と彩夏の、同性どうしの愛である。当初は、友だちにさえなるのは無理だと思っていたはずなのに、やがて、お互い、かけがえのない存在になっていく。それでも、逢衣にとっては、彩夏は友だちというポジションだった。颯と結婚しそうになったタイミングで、彩夏の自宅――琢磨と別れた理由を訊きだしたいがために、逢衣は彩夏に会いに出向いていた――で突然唇を奪われ、「ねえもう好きで好きで抑えられないよ、逢衣を見るだけで身体の細胞が全部入れ替わってしまうくらい好き」と告白されたその時までは。
 当初は、仲の良い友だちに裏切られたように思い、自分は颯と別れる気はない、ときっぱり彩夏に告げた逢衣だったが、拒絶してもなお自分への想いを募らせる彩夏に、彼女の真っ直ぐな想いに、抗えなくなっていく。やがて、彩夏が琢磨に別れを告げたように、逢衣もまた颯に別れを告げる。颯との同棲を解消し、彩夏の部屋で二人で暮らすことになった逢衣。けれど、幸せな時間は長くは続かなかった――。
 逢衣と彩夏の愛は、その形だけを見るならば、同性愛になるのだが、けれど物語の本質はそこに重きは置かれていない。人生でただ一人の相手に巡り合う奇跡と、呼び合う魂の、痛ましいまでの切実さ。本書の核はそこにある。彩夏が逢衣を、逢衣が彩夏を選んだのは、お互いがお互いの欠片のような存在だったからであり、性別は置き換え可能な単なるパーツにしかすぎない。そこが素晴らしい。
 自分は、(性的嗜好においては)同性は恋愛対象にならないはず、と内なる葛藤を繰り返す逢衣と、逢衣に対して電撃的に恋に落ち、その想いを逢衣から跳ね返されても、跳ね返されても、ひたむきに貫く彩夏。そこにあるのは、まじりけのない愛、である。
 同時に、性別は置き換え可能なパーツだと書いたことと矛盾するようであるが、本作は同性どうしの愛でなければならなかった側面もある。彩夏との愛は真実であるものの、同性であるが故に、逢衣はそのことを家族の前では言い出せない。親友にも打ち明けられない。何一つ間違ったことはしていないのに、本来なら運命の相手と結ばれたという、誇らしいことでもあるのに、それをオープンにできないのだ。
 それでも。二人に襲いかかった〝試練〟を乗り越えて、逢衣は強くなる。そして、言う。「彩夏の名前すら人前で呟けない人生でも、私は毎日を一緒に過ごせれば、これ以上ないほど幸福だよ。彩夏と一緒にいられたら、私にはどんな場所も日向だよ」
 二人を襲った荒波が激しかったからこそ、物語の後半に出てくる、逢衣のこの言葉は、豪速球のように私たちの胸を射抜く。どんな場所も日向だよ、とはなんと尊い言葉なのか。なんと美しい言葉なのか。
 愛について悩んでいる人に、そっと差し出したい一冊である。