そういう生き物

そういう生き物

著者:春見朔子

第40回すばる文学賞受賞作。

千景とまゆ子。高校の同級生である二人は、10年ぶりに偶然再会し、思いがけず一緒に暮らし始める。
薬剤師の千景は、とある男との逢瀬を重ねながらも、定年退職した大学の恩師「先生」に心を寄せている。
叔母のスナックでアルバイトをするまゆ子は、突然家に尋ねてきた「先生」の孫とカタツムリの飼育を巡り交流を深めつつ、千景をそっと見守る。
すれ違いの生活ながら、長く離れていた二人の距離は徐々に縮まっていく。そんな中、高校時代の友人の結婚式が近づき、二人はかつての自分たちの深い関係と秘密とに改めて向き合うことになる。そして……?
一番近くにいるのに、わかり合えない二人。なのにもかかわらず、寄り添う二人。
愛と性、心と体の狭間で揺れ動く孤独な心象風景を、瑞々しい文体で描き出す、第40回すばる文学賞受賞作。

ISBN:978-4-08-771054-0

定価:1,430円(10%消費税)

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【書評】性愛でなく、友愛で結ばれること

江南亜美子

 血縁でない他人同士の二人暮らし。婚姻関係はなく、いかなる契約も性愛も介在しない。ただの居候よりはちょっと近しい距離感の、どこか奇妙な暮らしぶり。本書は、そんな光景を映しだす。
 薬剤師の千景は偶然訪れたスナックで、高校で同級生だったまゆ子と再会する。金髪と美しく化粧された顔は十年前と違ったが、すぐに識別できた。それを機にまゆ子は千景の部屋へわずかな荷物と寝袋ひとつで転がり込む。期限の約束も大義名分もない同居生活の始まりだ。
 千景は人懐っこい性格などではない。むしろ逆で、特定の恋人は持たず社会性も普通。人間など〈ただの有機物のかたまりなのだ。(中略)さみしさも、愛情も、電気信号に過ぎない〉と考える合理主義者である。ではなぜまゆ子を突発的に受容したのか。訝しむ読者はやがて、過去に何かあるらしいと気づく。
 じわじわと薄皮をはがすように、二人の関係を顕わにしていく著者の筆致は、抑制的だ。「謎」に向かって一直線に突き進んだりしない。千景はかつて師事した大学教師の元で線虫を観察する休日を過ごす一方、時おり虚無的な性交渉を外の人間に求める。まゆ子は、千景の先生の孫である小学生の央佑と仲良くなり、連れだって動物園に行くまでに。一見平穏な日々。しかし同級生の結婚式を契機に、二人は過去も含めた自分たちの関係を意識せざるを得なくなる。〈「原田さんて、広川とつき合ってたんでしょ?」〉
 未読者のために詳述は控えよう。ただここにはセクシャリティの問題が絡む。昨今この問題──なかでも性的マイノリティについての言説は、多様性の名のもと、少数派の意見こそ価値を持つとする政治的正しさがかろうじて命脈を保ち、いわば特権的なテーマとしてしばしば扱われている。しかし本作の優れた点は、それを声高に語らないことにある。
 人は元来、セクシャリティの属性だけに自らをレプリゼントして生きてはいない。それはパーソナリティの一部でしかない。しかもそのセクシャリティもまだ名づけのない、ごく私的な違和の感覚である場合も多い。テーマになりえない、個人のささやかな葛藤……。本書が描こうとしたのはおそらくそれであり、また葛藤を持つ者同士が友愛的に結びつくさまである。そこには弱者も強者もない。央佑を交えた三人が雌雄同体のカタツムリの交尾を観察するシーンは象徴的だ。
 人を一面的に捉えない。本作が、千景とまゆ子の両者の視点をスイッチしつつ進むのも、そうした理由からだろう。優しげな語りの下に、並みならぬ気概があるこの小説。著者の今後が楽しみだ。