あるいは修羅の十億年

あるいは修羅の十億年

著者:古川日出男

舞台は2026年東京。
放射能汚染によって隔離された被災地「島」からやってきた、天才的騎手・喜多村ヤソウ。
東京オリンピック後、スラムと化した“鷺ノ宮"を偵察する「島」生まれの喜多村サイコ。
先天性の心臓病を患う少女・谷崎ウラン。
17歳と19歳と18歳の三人が出会うとき、東京を揺るがす事態が巻き起こる──。
日本、フランス、メキシコ、そして「島」。
遥かな未来になけなしの希望を託す、近未来長編。

ISBN:978-4-08-744047-8

定価:990円(10%消費税)

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【書評】現実を更新し、自らも更新していく物語

倉本さおり

 舞台は二〇二六年の日本。十五年前に起きた大震災が原因で二つの原子炉が爆発し、あいだに挟まれ汚染された一帯は世間で「島」と呼ばれて隔離されている。
 テロ、移民、スラム化した都市、放射能汚染をもたらす謎の生物兵器……帯には「“未来の歴史”を幻視せよ」とある。あらかじめふんだんに貼りつけられているタグの香ばしさと、そこからおのずと濃厚にたちのぼる「震災後文学」の文脈の気配に、中身に直接触れてもないのにちょっと当てられてしまう読者もいるんじゃないだろうか。
 けれどこの小説の構造は、まさにそうした表面的なイメージ消費──つまり「物語」消費の在り方こそ狙い撃ちにしていると読み解けるのだ。それは3・11以後に生まれた「東京小説」の姿の、ひとつの結実だと呼んでもいい。
 本作において核となる「物語」を動かしていくのは、三人の少年少女と三つの土地──いうなれば「環境」だ。そこへ、「きのこのくに」と「原東京」という二つの作中作が互いに絡み合いながら根を広げていく。
 まずは人──この「物語」の出発点にいる三人の少年少女について整理しながら、本作のテーマを解きほぐしてみよう。

*東京の「過去」と「未来」、「内」と「外」

 一人目の少女・ウランは「東京生まれの東京育ち」として登場する。ただし心臓に先天性の欠陥があり、これまでの人生の半分以上を病院で過ごしている。父親は嵩み続ける医療費の算段に消耗し、ウランが幼い頃に急逝。経済的な窮地を脱するために母親が選んだ道は、ウランの主治医の愛人となることだった。おかげで最先端の施術の対象となったウランは、十五歳のときに事実上の人工心臓を胸に埋め込まれて以来、自分のことを「ロボット」だと認識している。実はウランという名前も、『鉄腕アトム』の妹分からイメージして自分でつけた呼び名にすぎない。
 ウランは、物語にあふれていたのだ。その想像力は罪悪感の抑圧を基盤とする。
 むやみに移動することもままならない不自由な体を抱えた少女は、父親を死に追いやった自らを肯定して生きるために想像力を鍛え上げ、内在する「物語」の力で周囲の世界、すなわち「環境」のほうを変えるに至った。そんな彼女によって産み落とされた「神話」──本作における作中作のひとつが「原東京」だ。東京を舞台に、都内の公立美術館と共同で大がかりな美術プロジェクトを進めていたメキシコの現代美術家は、自分の作品のベースとなるような鮮烈な物語をウランの想像力の中に見出し、ある種の「本」としてまとめることを思いつく。ウランはそれに応え、それこそ迸るように物語を出力しながら「東京の歴史」を「創作」していく。
 ウランの描く「原東京」は、太古に生きていた超巨大な鯨が湾に打ち上げられたところから始まる。いわく、その死骸が不毛な土地を肥やし、都市を生み出したのだ、と。そこにたゆたう豊饒なイメージは、ときに過剰とも見做されるディテールをいくつも孕みながら膨らみ続け、美術家以外の他者の記憶まで刺激していく。そして、打ち上げられた鯨の姿は、後にあの「津波」のイメージを引き寄せ、閉じ込められていた「死者」の記憶を呼び覚ますことになる。
 二人目のキーパーソンとなるヤソウは、ある目的のために「東京」の姿を監視するべく「森」──ないし「島」から出てきた少年だ。冒頭でも軽く触れたとおり、二つの原発事故に挟まれた地域は「島」と呼ばれ、外部の人間から忌避されているが、実際にそこに住んでいる者はみな「森」と呼びならわしている。
 ヤソウはその類まれな乗馬スキルを買われ、経済復興の要として国家レベルで再開発の進む「東京ネオシティ競馬場」にて「勝島モンスター特別」(!)なる実験的レースの騎手として育成されることになる。これは「東京ステロイドS(ステークス)」(!!)と呼ばれていた危険なレースの進化形で、四肢に人工腱を入れた高機能脚馬を乗りこなす過激な見世物だ。このあたりの、作者の毒っ気に満ちた遊び心としなやかな跳躍には相変わらず舌を巻く。だが、グロテスクななまなましさを湛えた刺激的な「東京」のビジョンはこれだけにとどまらない。勝島、東大井、南大井一帯は、自然発生的に生まれる移民街のカウンターとして、いわば「異国情緒と安全性とをコマーシャルに利用する」べく戦略的に構築された移民街として描かれ、複数の暦から生まれるお祭りは月に平均二十回、移民たちのデモはあくまで風物詩として計画的に組織されるという。おまけに移民たちの入居するビルは「ブリーディング・ビル」と呼ばれ、複数のエスニックグループがとことん機能的に同居するという有様だ。
 ヤソウのパートで描写される「東京」は、まさしくありうべき未来を強調した姿だろう。「森」出身──いうなれば、ある種の異邦人だからこそ、ヤソウの視界は「東京」の真実を少しずつ暴き出していく。
 さて、三人目のキーパーソン・サイコは、ウランと同じように「ビジョンでぱんぱんに膨らんだ女の子」だ。ヤソウの二歳年上の従姉であり姉で、いまだ「森」に住みつづけている。その彼女が執筆した小説が「きのこのくに」である。(続きは本誌にて……)