少年アヤ「ただしい男の子たち」
ぼくはかぐわしいものが好きです。きらめくものが好きです。
それだけで、うんこみたいな扱いを受けてきました。
うんこみたいに扱われつづけると、いつの間にか自分でもうんこそのものに思えてきて、自分はくさい、きたない、不必要だと感じるようになるから不思議です。そうして絶望すらも感じなくなってゆくのだから、うんこはお利口です。
うんこのぼくは、男の子たちの輪になんて、ぜったいに入ってはいけなかった。近付くのさえいけない。なぜなら、そこはほとんど彼らにとって、あるいはぼくにとっても、聖域に近い場所だったからだ。
彼らは、そのなかを堂々と闊歩し、筋肉をぶつけあい、喉仏からぐおんぐおんおおきな声をだして笑いあう。そして、うっかりぼくみたいなのが入り込むと、スクラムを組んで締め出して、うんこの烙印を押す。
ぼくらは彼らの暗部であり、けっして触れてはならない恥部なのだ。そのことを徹底的にわきまえ、彼らの聖域を汚さないよう、誇りを汚さないよう、細心の注意をはらうのが、こういうふうに生まれついてしまったぼくらの、たったひとつの務めといっていい。
おおげさだって思うでしょう。
うんこなりの生き方というのがある。
まずは沈黙することだ。沈黙し、干からびてしまうまでおのれを脱臭する。そうすれば、どんなに窮屈でも、すくなくとも聖域のなかにいられる。
または、彼らになりきってしまうという手もある。彼らと肩を組んで笑いあい、おなじ歩調で歩き、おなじようにうんこを排除するのだ。技術を要するけれど、慣れてしまえばきっとなんてことないだろう。
そしてもうひとつは、ピエロになることだ。おのれを戯画化し、かなしみも、怒りもぜんぶパロディにして、おどけてみせちゃう。それは同時に、聖域の存在そのものを浮き彫りにさせ、こっそりおちょくることでもある。
ぼくは沈黙という段階を経て、その道を選んだ。19歳のときだった。
そうするのがいちばん賢い気がしたし、なにより聖域からあぶれてしまった自分を、うんこでしかない自分を、乗り越えられると思ったのだ。
はじめて「おかまです」と名乗ってみたときのことを覚えている。さわやかで、痛快で、すこしかなしかった。けれどみんな笑ってくれたし、ピエロとしての役割も与えてもらえて、悪いことなんてなにひとつないと思えた。
しかし「おかま」として、ピエロとして振る舞う日々のほとんどを、ぼくは暗澹とした気持ちですごした。なにかおおきなものがつねに背中にのしかかっているみたいで、こころも身体も重くてたまらなかった。
なにより、ただしい男の子たちの真っ当さが、より胸に刺さるようになっていった。憎むみたいに欲情しては、そうなれない、なりえない自分を呪った。
そんなとき、女たちの言葉はぼくにあたらしい生き方を見せてくれた。それはたしかな怒りや願いを込めて、延々と編み上げられてきた無敵のお守りみたいな言葉で、触れるたびにぼくのこころを鼓舞し、つよく共振したのだ。
なぜなら女たちも、聖域の外に追いやられた存在だったから。
なにを選んだか、だれを愛したかなんて問われるまえから、女たちはうんことして扱われている。股から血が流れるからとか、股がいやらしいからとか、とにかく股をめぐるいろいろな屁理屈によって。すくなくとも、ぼくには隠したり、取り繕ったりする手段があった。生まれた瞬間から、蚊帳の外なんてことはなかった。
フェミニズムは、聖域というシステムそのものを正面から捉え、それにたいして怒る、ということを教えてくれた。もちろん、聖域なんてものが、ちっとも魅力的じゃないってこともだ。
そして、フェミニズムとともに改めて考えてみたとき、そもそも女たちが追いやられている、という前提があるからこそ、ぼくも笑われていたことを知った。「おかま」なんて言葉ひとつとっても、「女の側に落ちた男」という意味でしかなかったのだ。
ぼくがピエロとして見せしめになることで、どれだけの人を踏みつけたんだろう。女たちや当事者だけじゃない。きっと、聖域を生きる男の子たちの人生も、知らず知らず縛っていたにちがいない。たとえそのことに、彼らが一生気がつかなかったとしても。
だったらぼくは、あくまでぼく個人は、「おかま」の自称をやめなくてはいけない。自分をうんこなんて思うのもだ。
もちろん、自覚的に自称したい人はしたらいいと思う。どんな選択をしたって、当事者にとってはそれが戦いなのだから。
ぼくはかぐわしいものが好きです。きらめくものが好きです。
それだけで、うんこみたいな扱いを受けてきました。聖域のなかから見れば、きっといまもうんこだと思います。
だけどぼくの自由は、すべての女たちとつながっています。当事者たちともつながっています。もちろん、聖域を生きるきみたちとも。
おおげさだって思うでしょう。