【書評】物語の窓を開いて
青木海青子
つねづね、本は窓のようだと思っている。自分が今いる部屋とは異なる世界が、確かに存在することを教えてくれるもの。外の世界の風や光を、部屋の中に運んでくれるもの。奈良県東吉野村の山の中で私設図書館の司書として、本と共に生きている私自身は、その窓枠にしがみついて、食い入るように外を眺めている子供だった。
そんな窓を沢山開いて待っていてくれるのは、『外の世界の話を聞かせて』の舞台となる、東京の片隅に位置する長屋のようなアパートの一室で営まれる、私設図書館・南天文庫。そして、南天文庫を営むあやめさん。以前は母の輝子さんと開いていたこの場所を、今はあやめさんが一人で切り盛りしている。ここには、外の世界とは少し異なる時間が流れていて、家族ではないけれど家族みたいな人たちが行き交う。子供の頃からここの常連である陽日は、高校生になった今でも南天文庫に通っては、物語の窓を開く。本の中に広がる物語はもちろんのこと、それ以外にも、あやめさんが子供の頃に暮らした共同生活の場、「ピンクの家」の風景も、南天文庫の窓に映し出される。
「ピンクの家」は三重県にあり、元々公民館だった建物に勝手に電気を引くなどして、三組の夫婦とその子供たちが不法居住していたのだ。1970年前後の当時は皆若く、理想に燃えていて、「運命共同体」としてその場所で日々を重ねていたのだった。ピンクの家に流れた時間と、南天文庫に流れる時間は、どこかで共通しているのかもしれない。ピンクの家を思い起こし窓に映し出すのは、あやめや輝子、それに当時あやめと一緒に育った真実子や功。ここに暮らした妻や子供たちの目線で見たピンクの家の記憶が、窓の向こうに広がる。
学校生活や、学校に来なくなった友人・瞳との関係、自分の「今いる部屋」をsuckと感じることのある陽日。あやめさんに「外の世界の話を聞かせて」と尋ねられ、ぽつりぽつりと日常を語る。陽日にとっては当たり前のこと、何気ないことを語っているつもりでも、あやめさんは「どうしてそうするの?」とか「それはどういうもの?」と言ったように、不思議そうに聞き返す。
陽日は反対に、あやめさんにとっては当たり前だったピンクの家の話を聞きたがる。後にあやめさんの紹介で真実子に会った時にも、ピンクの家の記憶を尋ねるのだ。ある時、あやめさんに「陽日ちゃんはどうしてそんなにピンクの家に興味があるの?」と尋ねられ、陽日は「物語みたいだから、かな」「読み始めた本は読み終りたくなるでしょ? 全部知りたいっていうか」と答える。
あやめさんの言う「外の世界の話を聞かせて」という言葉の、「外」とはどこのことなのだろう。実は、あやめさんの「外の世界の話を聞かせて」と、陽日の「ピンクの家の話を聞かせて」は、同じことを言っているようにも響いてくる。皆それぞれに、「今(自分が)いる部屋(世界)」の窓の外の話を持ち寄って、自分の部屋のことも、自分の部屋以外の世界のことも知っていくものなのかもしれない。
あやめさん、陽日、瞳は、普段はそれぞれ自分の部屋に籠っているタイプのように映る。陽日はそのことに、どこか安心感を覚えて彼女らと心を通わせている。けれど変化を敏感に恐れる陽日をよそに瞳やあやめさんは、窓の外の世界から強い風が吹き込みその影響が滲み出して来た時、意外にもそれを楽しみ、軽やかに今いる部屋のドアノブを内側から回すのだ。陽日はその姿に幾分動揺しているように見える。「だって、外の世界はつねに変化してるのかもしれないけど、ここは外の世界じゃないと思ってたのに」と窓枠にしがみついて訴える陽日に、あやめさんは「でも、ときどき外の世界が侵食してくるの」と言ってのける。まるでそれがおもしろいことででもあるみたいに。
ピンクの家での「運命共同体」の生活がそうであったように、窓枠にしがみついて、食い入るように外を眺めている子供も、その時がくれば今いる部屋のドアを内側から開き、踏み出して行かなければならない。物語を眺めて夢想する側から、あやめさんや真実子、功のように、自分の物語を時に重たい足でおぼつかない足取りで、歩んでいくことになるのだ。この物語は、ピンクの家、南天文庫の景色を窓に鮮やかに映し出し、そのことを陽日や私たちにそっと耳打ちしているのかもしれない。陽日のように南天文庫に足を運んで、あやめさんと言葉を交わしてみたくなったなら、本書を開いてみてほしい。
余談だが、本書を近鉄電車の特急の、小さな折りたたみテーブルの上で読み終えた。車窓に広がる景色のどこかに、ピンクの家が佇んではいないかと想像を巡らせながら。