【書評】人間存在へのしっとりした愛
栩木伸明
短編小説が丷篇入った『意識のリボン』を読んでいたら、頭の片隅に「ヒューマー」という英単語が浮かんできた。
「湿気」という原義から転じて、粘液質や憂鬱質などの「気質」を示し、「変わりやすい気分」や「おかしみ/ユーモア」を意味するようになったのが「ヒューマー」である。丷篇のひとり語りが描き出すのはさまざまな気質や気分を掘り下げていく人間観察で、すべての根元には人間存在へのしっとりした愛が潜んでいそうだ。
以下、収録順に、小説の声が形どる気分の片鱗を紹介していこう。
冒頭に置かれた「岩盤浴にて」を語るのは、忙しい時間を割いてサロンへやって来た女性である。周囲が気になってしかたがない。「癒やしとデトックスを求めてきたのに、脳内は岩盤浴に訪れる前よりも多くの、どうでもいい雑事を新入荷している」のが彼女だ。他人の会話を盗み聞きする癖が抜けないために、すっきりとはほど遠い気持ちを抱えたまま、制限時間が過ぎ去っていく。
しまいに彼女は、きれいになったばかりの毛穴をメイクで埋め、サロンへの入会の勧誘を断る口実を思案しながら、出口へ向かう。ぼやき漫談を思わせるつぶやきの合間から、ポーカーフェイスのユーモアが覗いている。後ろ姿が忘れがたい語り手である。
「こたつのUFO」は、今日三十歳の誕生日を迎えた女性小説家が語る――というか書いている――一篇。作者は語り手に自分自身の面影を分け与えると同時に、本作が私小説として読まれるのを警戒して、小説には「現実に体験したことも含まれてますが、大体は想像ですよ」、と語り手に告知させる。
たくらみはまだある。小説を書きあぐねてこたつに入りっぱなしの「私」が綴る冴えない身辺雑記は、本人がほのめかしているように、太宰治の短編小説「千代女」へのオマージュである。「千代女」は、小説の才能があると買いかぶられている自分のイメージと凡庸な自分自身のズレに悩む娘のひとり語り。千代女は苦し紛れに、「炬燵は人間の眠り箱だと思った」という小説を書いて叔父に見せるのだが、あまりの退屈さに中途で投げ出されてしまう。綿矢は、千代女を「私」に重ねることで、小説が書けない切迫感を主題化するユーモラスな想像力の系譜に、みずからをつないだのだ。
「ベッドの上の手紙」は本書で唯一、男が語る掌編である。極小の小説空間で、過ぎ去った恋にきっぱり別れが告げられる。
「履歴の無い女」は近頃結婚した女性が語るマリッジブルーの物語。彼女は、引っ越しの手伝いに来た妹を相手に、ひとり暮らしから結婚生活へあまりにもすんなり移行できてしまうことにたいする罪悪感を語る。語り手は、結婚して四年になる妹の大人らしさを頼りにしているようだ。
姉妹編というべき「履歴の無い妹」も同じ姉が語る。こちらは妹が結婚を控えていた時期の話なので、四年前の物語である。姉の人物像の細部に作者本人を連想させるところもあるけれど、「大体は想像」であるに違いない。
ひとり暮らししてきた妹の部屋の荷物整理を姉が手伝っている最中に、写真の山の中から一枚のヌード写真が出てくる。妹の元カレが撮ったその写真には、妹ともうひとりの女がヌードで写っている。小説が表面上描いているのは刻々と変化する生活者の感情なのだが、その写真について姉妹が語りあうくだりでは、にわかに芸術論が立ち上がる。普段着のことばで、女の裸身が男の欲望をかき立てるメカニズムが解き明かされるのを、目の当たりにして舌を巻いた。
下世話に見える人間観察と切れ味鋭い美学がシームレスにつながっているのが、さりげなくすごい。二作を続けて読むと、「履歴の無い」というタイトルを裏切って、姉妹の人となりが豊かに立ち上がってくるのも心憎い。
「怒りの漂白剤」において、ひとり語りの電圧は静かに上りつめる。「私の場合、他のどんなマイナスな感情も根っこでは怒りにつながっている」と独語する語り手が、自分自身の気質をとことん解剖していく。「ストレスはパワーを吸い取られる現代人の悩みの種、怒りは腹が立つ分パワーもわいてくる暴力的な衝動」と分析する彼女は、怒りを抑えるためには、「好きを好きすぎないようにする」心構えが有効であることに気づく。
彼女は怒りを解剖し、制御しようと試みる一方で、怒りを讃美し、怒りからの解放を求める。矛盾を抱えこんだまま延々と続く独白はジェットコースターのように緩急自在だ。この短編をひとり芝居で演じるひとはいないだろうか。ぜひ観に行ってみたい。
「声の無い誰か」は噂の研究。地方都市の住宅街を舞台に、高校生の娘がいる母親が語り出す。猟奇的な連続通り魔事件が起きているという風評が街を不安に陥れている。デマの終息宣言は出せても、サイコスリラーは終わらない。
「意識のリボン」の語り手は二歳の頃、生まれる前の記憶を語っていたという真彩。今は大人になったが、田舎道でスクーターに乗っていたら玉突き事故に巻き込まれ、「ぽーんとお空を飛んでいる」。
ぽわわんとした彼女の語りに乗せられて、読者もともに死の世界へ向かう。だが川にさしかかったとき、向こう側から見ている死んだ母親に「まあやは戻りなー」と言われて、生者の世界へ戻ってくる。地面に縛られた身体と、どこまでも昇っていこうとする意識をつないでいるのが、「意識のリボン」である。
まあやは、「肉体を失くして初めて、肉体や頭脳の鍛錬、他者との競い合いが肉体を喜ばせるための行為だったと気づいた」と述べ、生まれる前に知っていた「ひかり」が自分自身の内に「宿っていたんだ」と気づく。臨死体験を語ることばに揺るぎないリアリティーが感じられるのは、小説の魔法のせいだろう。読み終えた後もずいぶんしばらく、まあやの声が脳裡を去らなかった。