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写真家

小野規

2010年 3月号

小野規
小野規

 写真家であると同時に、写真の教育者でもあり、キュレーターも務めてしまう。しかも写真が発明されたフランスで。そんな日本人がいる。

 彼が渡仏したのは一九八七年、今から二十余年前のことである。一九九一年にアルル国立高等写真学校を日本人としてはじめて、しかも首席で卒業。一九九四年にはパリ国立図書館のギャルリ・コルベールで個展。二〇〇三年からはパリの美術学校であるアトリエ・ド・セーヴルで専任講師を務め、二〇〇八—九年には、フランスの国立美術館のひとつが主催する写真ビエンナーレで、アジア担当のコミッショナーとなった。

 そんな人物から次のような言葉を聞いたら、誰もが驚くのではないか。「僕には写真のアマチュアだった時期がないし、写真ファンだったこともないんです」

 でも、これこそが小野規(ただし)なのだ。

 そんな彼と話をしていると頻出する写真用語がある。「シノゴ」だ。四×五インチという大判サイズのカメラのことだが、その扱いがどういうものなのか、小野は優雅な口調で描写してくれた。

「カメラを三脚に据えて、ある状況の中に立てて、黒布をかぶってすりガラスを見る。そしてすりガラスに写ったものと現実とを見比べて、考える。修整が必要であれば修整する。そしてそれを一枚のフィルムに記録する……」

 比較と思考と修整。その繰り返しの果てに訪れる記録という行為。小野にとってカメラとは、四×五の撮影がまさにそうであるように、目や身体の延長にある道具ではなくて、凝視と思考とを可能にする装置にほかならない。そしてこのスタンスは、事実上のデビュー作にすでによく表れている。温室や自分の部屋のガラスの表面を「複写」したそのシリーズを、小野は「TRANSPOSITION(転位)」と名づけた。「写す」と「移す」の双方を日本人には想起させるタイトルである。

「ガラスというのは、写真のメタファーそのものですよね。四×五カメラのすりガラスしかり、ガラス乾板しかり。しかもこの写真の場合、フレーミングは、僕じゃなくてガラスが決めるんです。自分はマニピュレーターに徹する」

 しかし、と小野は言う。

「この写真には欠点がありました。世界と乖離している。結局は写真論写真なわけです。美しいので人気はあったんですが」

 たとえ美しかったとしても、世界とつながっている実感がないのであれば、自分の写真としては認め難い。そう考える小野に転機が訪れる……

続きは本誌で

撮影/中野義樹

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