過激なまでにコミカルなクィア映画
『フィリップ、きみを愛してる!』
越川芳明
真の指導者の資質
『インビクタス/負けざる者たち』
立田敦子
沈黙の共同体
『海の沈黙』
野崎歓
「貧困」と「民族」を越えるマザーの絆
『フローズン・リバー』
決して終わることのない悲劇
『カティンの森』
アニメにとって現実とは何か
『戦場でワルツを』
「キューバ映画祭」注目の二作品
『12の椅子』『ある官僚の死』
今、食に求められる思想
『未来の食卓』
キリストはナマズを釣り上げるのか
『ポー川のひかり』
「スカベンジャー」から世界を見る
『BASURAバスーラ』
個人史に刻まれたナチスの傷痕
『愛を読むひと』
これが越境だ
『新宿インシデント』
「境界」を越える花嫁
『シリアの花嫁』
メディアに翻弄される現代の政治家の悲劇
『フロスト×ニクソン』
毒入りキャンディーの魅惑
『シェルブールの雨傘』
事実にもとづく革命ドラマ
『チェ 28歳の革命』『チェ 39歳 別れの手紙』
移民一世の親たちに捧げる物語
『そして、私たちは愛に帰る』
複製技術としての映画を巡る快作
『僕らのミライへ逆回転』
北小路隆志
国境地帯の女性殺人事件を告発する
『ボーダータウン 報道されない殺人者』
放課後を慈しむこと
『言えない秘密』
“映画に何ができるのか?”を根源的に問う傑作
『闇の子供たち』
フェアトレードの可能性をさぐる。
『おいしいコーヒーの真実』
エロス&ヴァイオレンス
『王妃の紋章』
“記憶の人”ヴェントゥーラ
『コロッサル・ユース』
ゲイのための映画版『キャッチャー・イン・ザ・ライ』
『パラノイドパーク』
境界に立つ監督の肖像 監督/アン・リー、インタビュー
『ラスト、コーション』
爽快なるロビンソン物語の現代的翻案
『アイ・アム・レジェンド』
ファーストフードは、なぜ安いのか?
『ファーストフード・ネイション』
老いてこそ映画
『夜顔』
歪んだ鏡
『インベージョン』
米国の医療制度を一方的に叩く
『シッコ』
盤面の充溢
『呉清源 極みの棋譜』
映画作家の“故郷”への回帰
『マラノーチェ』
ラ・マンチャの風車
『ボルベール〈帰郷〉』
両岸三地、横断鉄道
『イノセントワールド ─天下無賊─』
二つの場所の対照性と同質性を描く企て
『フランドル』
「バベルの塔」以降の世界を描く
『バベル』
この犬の名前は何ていうの?
『ボンボン』
刺激的な“監獄論”の企てる
『幽閉者』
ヨーロッパの視点から、アフリカン・ジェノサイドを再現する
『ルワンダの涙』
猿山に立つ巨匠
『エレクション』
これは戦争ではなく内乱である
『ワールド・トレード・センター』
格安のフィレオ・フィッシュはどこから来るのか?
『ダーウィンの悪夢』
映画に言葉はいらない
『西瓜』『楽日』
現代世界のトランスカルチュラルな人の行き来に思いをはせる
映画都市の源泉
第30回香港国際電影節レポート
《楽園追放》後の恋愛を描く極上の物語
『ニュー・ワールド』
砂漠と移民と女性の視点をもつボーダー映画
『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』
メロドラマは活劇である
『忘れえぬ思い』
映画とは「不死の王国」である
『輪廻』
TV報道の危うさを問うサイコスリラー
『タブロイド』
「男」と「女」のトロンプ・ルイユ
『女は男の未来だ』
麻薬戦争の"末端"で
『そして、ひと粒のひかり』
甘美な錯乱
『ロバと王女(デジタルニューマスター版)』
「怒り」としてのポップ喜劇
『ハッカビーズ』
カリブ海の浜辺を襲うグローバリゼーションの津波
『ジャマイカ楽園の真実』
映画と共感指数
『輝ける青春』
冒険の脱構築
『ライフ・アクアティック』
日本の“覗き文化”を覗き見る
『PEEP“TV”SHOW』
アンディ・ラウという名の歴史
『インファナル・アフェアIII 終極無問』
死にきれずにいる映画のために
『レイクサイドマーダーケース』
「ブエナ・ビスタ」と違う、もうひとつのハバナ
『永遠のハバナ』
国家のひげを剃った男
『大統領の理髪師』
恋愛と反復
『2046』
映画都市香港の栄光
『インファナル・アフェア 無間序曲』
「物語=歴史」とは何か?(2)
『テオ・アンゲロプロス全集?氈iDVD)』
〈革命的〉な女の子のロード・ムーヴィ
『ある日、突然。』
イオセリアーニという名の叡智
『イオセリアーニに乾杯!オタール・イオセリアーニ映画祭』
「物語=歴史」とは何か?
『ビッグ・フィッシュ』
マッチョなラテンテイストをまぶしたハリウッド映画
『21g』
荒野の女たち
『午後の五時』『ハナのアフガンノート』
「監視社会」とは何か?
『ドッグヴィル』
二度目に出会ったときに、圧倒的によさがみえてくるような…
『ピニェロ』
ぐらぐらと揺れるキャメラの恐ろしさ
『息子のまなざし』