すばる最新号  >  三島由紀夫・没後50年/インタビュー 大澤真幸「なぜ時代を超越できたのか?」

三島由紀夫・没後50年

インタビュー

大澤真幸

なぜ時代を超越できたのか?

──大澤さんは二年前に初の作家論として三島由紀夫論『三島由紀夫 ふたつの謎』(集英社新書)を上梓されました。大澤さんにとって三島は重要な作家であると思いますが、この没後五十年で改めていま三島について考えていることを聞かせてもらえますか。
 まずつくづく思うのは、三島作品が時代性というものにこれほどある意味で縛られないで読まれていることは稀有なことだと思います。たとえば、僕の友達でもある哲学者の熊野純彦さんが三島論(『三島由紀夫』清水書院)を出していて、高橋和巳との比較から論を始めている。そのときに思ったのは、高橋は確かに六〇年、七〇年代にかなり読まれていたんですよね。しかし、いま高橋作品を読みたいと思う人って、歴史的な関心を持っていなければなかなかいないと思うんです。でも、三島の場合はそうではない。しかも彼の場合は死に方が一つの強烈な社会的事件です。あのような事件を起こしても、その出来事から遠く離れて、あるいは切り離しても面白く読めるし、いまでも読まれている。それは独特な現象だと思う。
──事件(一九七〇年十一月二十五日)のことは覚えていますか?
 よく覚えていますよ。僕は小学校六年生ですけれども、小学生にとっても何かただならぬことが起きたんだということをやっぱり感じましたね。その事件のおかげであの年がどういう年であったか他のこともよく記憶しています。事件が起こった一九七〇年は大阪万博が行われた年です。たとえば浦沢直樹さんのマンガ『20世紀少年』にも万博のエピソードが出てきますね。浦沢さんも僕とほぼ同じ世代ですから、その当時小学校の高学年ぐらいの子供たちにとって、大阪で万博があったことは重要なんです。子供心にも、万博はすごいお祭りなんだけれども、お祭りの中にある微妙な暗さのようなものも感じていて、これは後づけだと言われたらそれまでだけど、そんな暗い気分があったんです。
 その後、万博が終幕して少し経って三島事件があった。もちろん、二つは出来事として独立したものだけれども、三島事件は万博と同じように、子供心にも感じていた閉塞感とすごく呼応するものがあったりする。だから、事件の日は、はっきり覚えている。事件があったのはお昼頃です。学校の先生たちがショックを受けているんですよ。午後の授業も、先生たちが心ここにあらずみたいな感じになっているんです。家に帰っても、両親がすごくショックを受けている。三島は当時、いまで言えば村上春樹さんみたいな、日本人なら誰でも知っている有名な小説家でした。三島は大衆作家でもあるから、たとえば作品がテレビドラマにもなったり、本人は映画やテレビにも出演していたから子供でも見たことがあったりする存在でした。子供の世界にまで侵入してきてしまう社会的出来事でしたね。
──今年公開された映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』を観ても当時のスーパースターであったことがよく伝わってきます。
 そうですね。いまの若者があのように真正面で議論したいから大学に呼びたいと思える作家や知識人はいないと思います。六八年、六九年の学園紛争があってあの討論が実現するわけだけど、七〇年には赤軍派による、よど号ハイジャック事件も起きています。三島事件を挟んで、七二年には連合赤軍によるあさま山荘事件が起きてと、この流れには地続きな印象を受けます。
 時を経て、九五年のオウム事件が起きたときに僕が思い出したのが、あさま山荘事件だったんです。多くの人がそう感じたと思うんだけど、二つの事件はちょっと似ている。若いエリートが中心で、連合赤軍は群馬の山の中、オウムは上九一色村で、どちらも田舎に拠点があって警察と闘ったと。大塚英志さんも二つの事件が類比関係にあると言っていたけど、僕は裏表の関係というか、反転していると思ったんですね。どういうことかというと、僕がよく提示する戦後精神史の区分「理想の時代」、「虚構の時代」、「不可能性の時代」のうちの「虚構の時代」というのはぴたりとオウム事件に当てはまる。オウムは「虚構の時代」の爛熟とその終焉を代表しているのです。それで『虚構の時代の果て』(ちくま学芸文庫)という本を書いた。ものすごくわかりやすく言えば、あさま山荘事件というのは「理想の時代」の完全な終わりというものを感じさせる。理想というものが最早成り立たなくなり、虚構へと反転する構造ですね。彼らの理想自体がすでに虚構ではないかという印象を持った。彼らは一応共産主義革命をやろうとしているんですよ。でも、共産主義というものについて具体的に何であるかを彼らは自分でもよく理解しておらず、知らなかった。共産主義というのは彼らの中のファンタジーとして形作られていた印象がある。たとえば、その前のよど号ハイジャック事件がわかりやすくて、彼らは革命を起こそうと思って北朝鮮に行く。そのときの声明文の有名な言葉、「われわれは『あしたのジョー』である」と。でも『あしたのジョー』って虚構ですよね。つまり、革命というものが一種の虚構の中でつくられ始めている。理想が虚構へと抜け切っていくようなベクトルを感じたんです。それに対してオウム事件は、虚構が革命的理想へと裏返ってくる。メビウスの帯のようなイメージです。連合赤軍とオウムは同じ立ち位置にいるのに方向が逆になっている。それでオウム事件のときに同時に思い出したのが三島事件です。連合赤軍事件の場合は、いま言ったように、オウム事件を基準点にして見ると、ポジとネガがひっくり返ったみたいな感じになる。そこに時代の違いを感じる。ところが、三島事件は、ポジとネガが全然ひっくり返っていない。つまり、二十五年前に三島はオウム事件と同じことを起こしているみたいな印象がある。よど号事件とか連合赤軍事件というのは、僕の言葉を使えば、理想の時代の終わりの出来事で、オウム事件は虚構の時代の終わりの出来事。だけど、三島の天皇観は理想の時代のものというよりも虚構の時代のものなんですよ。彼の言う天皇は一見リアルな実体のように見えるけれども、純粋なイデアです。その純粋なイデアがあたかも現実であるかのように設定することでクーデターを起こそうとした。三島の起こしたことは、僕の時代区分でいけば本当は理想の時代のターニングポイントで起きたんだけれども、やったことは、むしろ、その二十五年先の虚構の時代の終わりの出来事に近い。そこもきわめて現代的です。
──大澤さんはその事件から少し経った十六歳のときに『金閣寺』を読んで衝撃を受けたと書かれていますね。他の文学作品と何が違ったのでしょうか。
 十六歳なので子供といえば子供だけど、それなりに生きることの苦労を感じるというか悩むんですね。当時、他の文学作品も読んでいたけど、たとえば太宰治の作品だと自分が生きていることの苦しさと共鳴し過ぎてしまう。生きることが苦しいから考えるんだけど考えることで自由になることができる。三島の作品、特に『金閣寺』はそこにぴったりでした。その当時、どれほど理解できていたかは疑問ですけどね。かなりショックを受けたこともあり、僕の三島論の大きな基軸になっているのは『金閣寺』です。『金閣寺』という作品が持ついろんなポテンシャルが最終的にどうなっていくかを考察する構造になっている。ただ作品に衝撃を受けたけど、当時事件のことは実はあまり考えていなかった。読んだ後に事件のことを思い出した。これは天皇陛下万歳と言って割腹自殺した人が書いたんだな、みたいな感じです。『金閣寺』という作品の中で自分が感じたものが全部三島の最期の行動に収斂していくとは思えなかった。そこには明らかに剰余があるという感覚ですね。だから三島論でも二つのことを課題にしなくてはいけないと考えました。三島は、ある意味では自分の作家的人生も含めた全てをかけて、最終的にはあのようなクーデターもどきのようなことをやっている。このことを全くなかったかのように三島について考えるということはできない。しかし、三島の作品、文学者としてやったことの全てがそこに集約されると考えてしまうと、自分が三島の作品を読んだときに感じているものが全部は拾えない感じがする。あの行動につながっている部分というのがどういうことなのかということを説明するということ。でも、それに回収されない部分があったのではないかということの二つを考えた。事件があってから読むと、どうしても事件に引っ張られてしまう。『金閣寺』でも金閣寺を天皇のメタファーだとして関連させて読み解くことは可能です。でもそれだけだと『金閣寺』という作品が持つ魅力が縮減されてしまうし、むしろ僕が最初に読んで面白いと思ったことを大事にして、三島をあの事件のもつ意味みたいなものから解放したいという感じもありましたね。
──特に初期の作品は、事件とは結びつかず全く政治的ではありませんね。
 彼はむしろ創作活動のスタート地点においては、ほかのどの作家よりも、ある意味で社会的関心が薄い。それがものすごく極端だったと思う。普通は社会的関心もなしに小説を書いていると、徐々に作家としてのインスピレーションや、クリエイティビティが下がるんだけど、三島の場合は、社会から隔絶されていたことが圧倒的な強さにつながっている感じがする。彼は、昭和とともに育った世代だから、戦争が終わったとき二十歳です。ある意味で最も戦争、敗戦というものに対して敏感になりやすい世代であるし、現に彼と同世代の重要な思想家や文学者の多くは、それが原点になっているじゃないですか。たとえば吉本隆明や鶴見俊輔らは三島と同世代です。それに対して三島は、国家や天皇のことを考えなければいけない戦中に全くそれらに関心がなくて、戦後十五年以上経ってから急に天皇とか言い始める。この観点から三島と比較したいのが司馬遼太郎です。司馬も三島と同世代ですね。司馬のほうが二つ歳上です。司馬も国民的作家で「司馬史観」と呼ばれるような歴史観も確立して学者ではないけど、学者以上に日本人の歴史観に影響を与えた人です。坂本龍馬だって彼が小説にしなければ誰も知らなかったでしょう。でも司馬は太平洋戦争については小説に書けなかった。現代に近いところで描ききれたのが日露戦争を扱った『坂の上の雲』です。日露戦争までは彼はまだ日本人をポジティブに見ている。だけど、どうしてあのような戦争をやる変な日本人になってしまったのかというところを小説にできなかったわけですよ。司馬は三島と違って戦争にも行っています。一番あの戦争に興味を持っていたと思います。エッセイや評論などでは言及していますからね。そういう意味では、彼は本当に書かなければいけないものについて書けずに死んでいった印象があります。
 何で僕はその話をいましているかというと、三島の『豊饒の海』のことを思い出してもらいたかったからです。というのも、『豊饒の海』は、四部作の時間のなかに太平洋戦争の時期も入っているわけです。だけど作品のなかに、あの戦争がどういうものだったかが描かれていない。あるのは、本多繋邦という作品全体の狂言回しを担う人物が、戦火のなか唯識論について勉強しているという内容なんです。それはいまだったらコロナ禍で自粛中に勉強が出来てその勉強のことだけを書いているみたいなことです。「お前、それはいいけどコロナについては何も考えなかったのか?」とツッコみたくなる(笑)。
 三島は、本質的には戦争のときの日本人というものに関心がないから、あっけらかんとその時代を書いている。だから、後に天皇のことを言ったりとか、自衛隊を国軍として認めなければいけないとか、自分の私兵をつくって国を守ることを主張したにもかかわらず、創作のスタート地点において、日本人のほとんど全ての人がコミットして、あるいは巻き込まれざるを得なかった戦争、そして敗戦という事実を、自分の外にあるちょっとした災害のようにしか捉えていないように読める。もちろん戦中に、自分は死ぬかもしれないという気持ちはもちろん持っていて、それはある程度の切迫感があったと思う。若いころから才能もあって、『花ざかりの森』を早く出さないと、それは自分の遺作になるかもしれないわけだから、紙がないのをどうにかしなければいけないとかは真剣に考えていたと思う。三島は吉行淳之介ら「第三の新人」とも同世代です。彼らは他の戦後派の作家たちと比較すると、私小説的で社会的な出来事より自分の身の回りのことを書く作家が多いですね。彼らは「戦後」という文脈に対する社会的関心をあえて括弧に入れて作品化している。でもそれは逆の意味で戦後的、敗戦後的コンテクストに沿っているとも言える。三島の場合はあえてコミットしないのでなくて自然にコミットできなかったがゆえに自由に書くことができた。コミットできなかった理由というのもいろいろあって、一つは彼の家庭環境が大きかった。母と祖母に——特に祖母に——溺愛されて隔離されたがゆえに世界で起きていることは自分にとって関係ないこととして捉えることができた。しかしそれが後になって社会的な問題を自分の哲学、観念の中からしか引き寄せられなくて、最後に天皇の問題にいってしまうあの悲劇を招いたとも言えるのですけどね。ただ、この時代にコミットしなかったことが時代を超えて三島作品が読まれる一つの要因に繋がっていると思います。
 その問題をもう少し敷衍すると、いま自分で仕事をしながら分裂する気持ちがあるんですね。つまり、日本というコンテクストに応じなければいけない気持ちが強くある一方で、そこに縛られてしまうと普遍的な問いを立てられなくなるというジレンマです。やっぱり日本の場合は七十五年前の敗戦、そこで抱えてしまったトラウマをいまでも乗り越えられないでいる。昨年、亡くなった加藤典洋さんは生涯そこにこだわったと思う。いまの若い論客である白井聡さんなどもその問題を気にしている。それはもちろん大切な仕事ですし、僕の中にも応答したい気持ちはある。ただそこからものを考えていくことはマイナスの地点からスタートすることになる。つまり敗戦によって、それまでの日本が蓄積したもの、文化的にも、政治的にも、思想的にも、全部否定されたみたいな感じですよね。マイナスからのスタートになってしまって、それを超えてもっと普遍的な問題に関わる回路がなくなってしまうのが物足りなく思う。そう考えたときに、三島のたとえば『金閣寺』で彼が提示している美の問題やイデアの問題、金閣寺放火という出来事に即して「人間にとって美とは何か?」のような普遍的な問題に直接的に関わることができるんですよ。三島の場合、一九七〇年にああいう形で死んでいったわけだから、論じようと思うとあたりまえに戦後的なコンテクストに埋め込んでしまう。でも、その埋め込みからあふれる部分がいっぱいある。僕の論ではそのあふれる部分をまずきっちり発掘して、その上で三島が、どうしてあのような最悪の事件を起こしたのかを考えていかなければと思ったんです。
──時代にコミットできなかったという話が出ましたが、戦後になって『金閣寺』を始め『宴のあと』や『青の時代』など実際に起こった事件をモチーフに多くの作品を書いていますね。このことはどう考えていますか?
 そこは三島の特徴ですよね。彼の場合、ノンフィクションライターのように事件に関心があったわけではないでしょう。でも、ただの小説のネタとしてその事件を取り上げているかというとそれも違うと思う。『金閣寺』はやはり放火事件があったから書けた。あの放火した犯人がいたから作品化できたのです。三島の観念世界の中に、現実と接点を持つシンギュラリティーポイントのようなある特異点があって、その特異点に火がともると、全体に波及するような感じがあったと思う。その特異点が大きくなり過ぎてそこに天皇が占めるようになるという構造も指摘できるかもしれない。ただ自分では社会的な関心を持っているけど、一方でそこには巻き込まれていないんですよね。どこか常にそれを冷めた目でしか見ていない。そこも彼の面白いところだと思います。たとえば、少し比喩的に言うと三島の短編で「荒野より」というのがありますね。突然、自宅に知らない青年がやってくるという有名な短編です。僕が思うのは、三島にとってある社会的な出来事、世界というのは、あの短編で描かれているようにどこかから突然侵入してくるものなんですよ。だから、その後に展開されていく三島の全哲学の中で必然性があるのかと思うと、ないように見えるけれども、その侵入があったおかげで事が起きる。そういう突然偶発的に世界からの侵入を受けて、それが彼の小説的想像力の核をつくっているような印象もありますね。
──三島の特徴と言えば、純文学作品、批評、戯曲、エンターテイメント作品、エッセイまで膨大な数の作品を遺しています。
 とても全部読めない(笑)。早く死んでいるのにね。やっぱりあの人は書くことで生きているみたいな人ですからね。自分も書いていて思いますけど、書くことの何が難しいかというとアイデアがないとかではなくて、書くときの思いきった決断なんですよ。こう言いきっていいのかな、でも言ってしまおう、いや言わねばならないみたいな決断です。三島にとって書くという行為は、変な話ですけど、書くことで決断しつつ世界を終焉させていくというか、毎日、小さな割腹自殺をしているようなものだと思うんです。彼は常に書いていないといけなかったんですよね。
──これまで三島由紀夫に関しては様々なアプローチから論じられてきました。大澤さんの三島論は事件に触れつつ、しかし社会学的な分析ではなく、『金閣寺』、『豊饒の海』など小説作品の深い分析が基軸になっている本だと思いました。
 僕の論では三島作品には火のメタファーに繋がる作品と、海のメタファーに繋がる作品があるとした。二つのうち火のメタファーに繋がる部分が三島のクーデター事件に繋がってくるのだけど、それとは異なるそこには完全に回収されない海のメタファーの作品もあるのではないかと読んだ。実際に、三島が最後に書いたのは、豊饒の海は何もない不毛の海で、海のメタファーが枯れていくというプロセスになる。でも、海のメタファーのなかにある思想の可能性があり得るはずだと僕は考えた。三島が書いたことではなくて、まだ書かなかったことにある思考のポテンシャルに注目したかった。まだアクチュアルになり切れていない部分を引き出したいなと思ったんです。だから、オーソドックスな文芸批評とは少し違うアプローチの論だと思いますね。
 三島の場合、小説として表現しなくてもいいのではという意見もあると思う。さっきの『豊饒の海』のように唯識論の説明が書かれていたり、作為的過ぎる作品も多いですからね。でも、いまの世の中、小説の力が下がっているかもしれないけど、やっぱり小説は重要です。何かものを考える端緒になるのが小説なんです。なぜ端緒になるかというと、ある世界の問いかけに対して、現実または虚構の出来事への関心を媒介にして、最初に具体的に応答できる形式だからです。僕は三島が何を考えたかということを再現したいわけじゃない。三島の小説が何かを考え始めていることをキャッチしたい。三島と一緒に考える。まだ考えは継続されています。さっき多くの作家に比べて三島は時代を超越して読めると言ったけど、それでも、だんだん後の世代になってくると、古い話になってピンとこなくなってくるでしょう。だから、僕はまず、三島の小説、物語的世界の持っている時代的なコンテクストから問題を抽出して、普遍化して、これから後の世代にも読めるようにしたいのです。三島作品は継承するに足る〈日本語の思考〉のもっともクリエイティブで良質な部分を体現していると思います。

聞き手・構成/編集部(「すばる」2020年10月号より)


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