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今月のひと

「なぜ日本名で願書を出したのかと総長に聞かれ、僕は日本人だと言うと、四百年の日本の垢を洗い流して二年間で韓国の魂を注入してこいと言われた。頭に来てね。じゃあ死んだ俺のじいちゃんも親父も女房も垢かいなと。そんな愛国心ならいらねえやと、飛び出ちゃった(笑)

 そう啖呵は切ったが、このまま日本には帰れない。昔日本にいた韓国人の先輩を頼り、京畿道のキムチ壺制作工場で住み込みで働く。厳しい修業だった。「仕事は午前二時から午後六時まで。冬は零下十度の寒さだし、寮には風呂もトイレもない。大きい方は鎌を持って出て草を刈ってする(笑)。食事は麦飯とキムチだけ。たまに魚が出たけど、それも七人で一匹です。工房では高さ一メートル以上ある大瓶を抱えるようにして全身で挽いて、手でたたきながら仕上げる。夜になると手が麻痺して動かなくなるので、蝋を溶かして塗って温めるんです」

十五代沈壽官氏 三月耐えて限界に達した。十四代をモデルに『故郷忘じがたく候』を著した司馬遼太郎氏に手紙で苦しさを吐露した。

「司馬先生からの返事には、心をいかにトランスさせるか、それが大事なのだと書かれてあった。強く日本人であろうと願いながら、朝鮮や中国の人の悲しみもわかる。そういう人に自分を仕立てていきなさいと。その言葉で一瞬にして自分と韓国との関わりが整理できました。ああ僕には故郷はないのだ。あるとすれば僕が感じて僕が決めた僕の有り様、それが遠い僕の故郷なんだと思いが定まった」

 故司馬遼太郎氏は、かつて沈一族の祖先を「ふたつの心を持った人々」と表現した。一つは先進朝鮮の陶芸を伝承する朝鮮人としての自負心、そしてもう一つは生き残るために日本に捧げなければならなかった日本人としての心だと。その二つの心は沈一族の葛藤の歴史とも言える。十五代沈さんもその葛藤の連鎖に巻き込まれ、二つの心の狭間で揺れた。

 しかし、イタリアで新しい作陶のヒントを得、韓国では司馬氏の示唆を得て、二つの心を行き交う柔軟なアイデンティティに目覚めたのである。

「薩摩焼の種は韓国にあるけれど、それを育んだのは薩摩の大地です。その地に根づく日本人としての自分も、朝鮮人としてのDNAも、何の矛盾もなく今僕の中にある。伝統を慈しむ気持ちとオリジナリティを求める気持ちが共存できるように同じ世界に住めるんです」

 二つの血の葛藤、伝統と独創性、むしろ自身の中に常に二律背反する要素があったからこそ、それを戦わせ、あるいは融和させ包み込むことで、クリエーションの原動力にできたのではあるまいか。

 別れ際に彼はぼそりと言った。

「もうじき沈壽官窯が一変します」

 背筋が伸びるような清浄感が走った。四百年の地平を越えて今、十五代の新しい試みが始まろうとしている。

聞き手・構成・撮影 宮内千和子


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