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日本のT覗き文化Uを覗き見る 越川芳明
『PEEP“TV”SHOW』監督/土屋豊 |
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土屋豊は「メディア・アクティビスト」と名乗っているが、少数の周縁的な男女視点から現代の日本社会の特質をえぐりだす、超一流のメディア・アーティストだ。
たとえば、『新しい神様』(’99年)は、雨宮(あまみや)処凛(かりん)という美形のミニスカ少女と任侠道を地でいく伊藤秀人からなる天皇制崇拝の右翼パンクバンドに焦点をあてた革命的なドキュメンタリーだった。「革命的」というのは、右翼的な心情を有する若者の言い分や行動を反天皇制を自認する土屋が撮ったからではない。まして、左翼であれ右翼であれ、政治イデオロギーというのは、お金以外に頼れるものを失った戦後日本人にとっての「宗教」である、といったことをモノ知り顔で語ったからでもない。むしろ、このドキュメンタリーの「革命性」は、そのナラトロジー(物語方法論)にあった。カメラの潜在的な「暴力性」に自覚的である土屋は、途中でビデオカメラを雨宮処凛に預けるだけでなく、かれ自身も一個の被写体になって、カメラの「暴力」の対象になるといったマゾ的な快挙にでるのだ。マゾヒズムこそ、主従二者のあいだに関係性を成り立たせるという、ジル・ドゥルーズの言葉が正しければ、雨宮と土屋のあいだに恋愛感情が芽生えるというのも、自然の成り行きだったのかもしれない。
さて、「自己批評力」をいっそう強化した『PEEP “TV” SHOW』は、一転して「フィクション」にシフトする。この映画のシーンはすべてシナリオに基づいているという意味で「フィクション」だ。では、なぜ土屋は「フィクション」の戦略をとるのだろうか。
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