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第40回すばる文学賞・受賞者インタビュー・春見朔子

「書き始めた日付けははっきり覚えています。二〇一五年五月三十日。三十二歳になった月の末で、仕事が休みの土曜日でした。まず六月末日締め切りの文学賞に応募する作品に取りかかりました」

 書店に足しげく通い、平積みの単行本や文庫を手に取る。薬剤師として勤務する日々の傍ら、趣味は読書と答えてきた本との距離感が一変した。

「四月に友人と食事をしながら、子どもの頃の夢は何だったかという話になりました。私が小学校の卒業アルバムに書いたのは小説家だと伝えたら、「小説家なら今からでもなれるじゃない」と言われて。そこから書こうという気持ちがじわじわと形づくられました。でも思い返せばこの十数年の間、本当は頭のどこかでずっと書くことを考えてきたような気もして……。その週末に突然スイッチが入ったように、バーッと書き始めたんです」

「そういう生き物」は高校時代の同級生、千景とまゆ子の奇妙な同居を軸に描かれる。薬剤師として働く千景と叔母のスナックでアルバイトをするまゆ子は、異なる生活リズムですれ違いながらも言葉を交わし一緒に食事をし、関係を深めていく。

「職業が同じなので、私自身が千景のモデルのように映るかもしれませんが、まったく切り離された存在です。だけど書き進めるうちに、登場人物たちには思いのほか愛着が生まれました」

 ある日、千景の恩師の孫・央佑が千景の家に二匹のカタツムリを預けてゆく。カタツムリの世話のため頻繁に訪れる央佑とまゆ子は日中のひとときを共に過ごす。学校に行けない少年と自分の体の処し方に決着をつけられないでいるまゆ子。それぞれが抱える孤独の層が丁寧に描かれ、読者は引き込まれていく。

 そんな折、同級生の結婚式を契機に、千景とまゆ子はかつて――まゆ子がまだ周囲に男性として扱われながら生きていたころ――恋人同士であった事実を再確認せざるをえなくなる。互いの「性」に翻弄される二人。性の多様性への理解が広まる今、非常にタイムリーな作品ともいえる。

「注目が集まっていることは理解しているつもりですが、ここで描こうとしたのは昨今よく取り上げられているような問題とは多分少し違っていて。私は体が女性なので女性として生きてきましたが、自分のことを女性だと思うのはそれだけの理由なんです。特に違和感もなければ、体の形とは別の理由で「自分は女だ」と思ったこともない。でも体と心の性別に違和を感じる人たちもいて、そうではない人たちもそれがどういうことなのかという疑問をさほど持っていないように見えました。皆、体とは別の「心の性別」というものの存在を疑っておらず、自分のそれをきちんと自覚しているものなのかと、それが不思議だったので、書いてみようと思いました」

 男とは女とは。肉体はそれを構成するひとつの要素ではある、しかし心はどこに拠るのか。どんな服を着て、どんな口調で話し、どんな社会的役割を果たすのか。性を規定する要素は多種多様だ。その認識の過程に興味を持ったのだという。

「だから作品で誰かの思いを代弁しようとは思っていません。そもそも小説は作られた「ウソ」の世界ですから。でも世界には何十億という人がいるのだから、どんな人でもいる可能性があります。こういう人、こういう関係があってもいいじゃないかという気持ちで書きました」

 冒頭もまた印象に残る。毎朝、こぷこぷと音をたて、まゆ子は持ち込んだコーヒーメーカーで千景に温かいコーヒーを淹れる。コーヒーメーカーは冷蔵庫の上の電子レンジの上に積み木のように置かれている。地震が来たら崩れてしまいそうなあやういバランスで載せられたそれは、まゆ子と千景の関係を暗示している。二人の視点を行き来して進む物語の叙述には、感情に没入することなくまるで観察記録のように的確な言葉が選ばれている。今後も描きたいのは、多様で多彩な人間の日々の営み。

「出来事や感情に名前をつけることはできるけれど、実際はそんなに単純なものではないですよね。今の私も、受賞はとても嬉しいけれど、この先書き続けていけるのかという不安も大きいです。明るく笑っていても、心の中に悲しみや屈託がないわけではない。物事は光の当て方によって悲劇にも喜劇にもなるけど、そもそもの本当はどちらでもなくて、それらは同時進行で起こっている。そのことを忘れていない、読み手にもそれをきちんと想像させられるような光の当て方で、現実に起こる可能性の一つとしての「ウソ」を描いていけたらと思います」

「すばる」2017.10月号

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