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「言葉にして共有すること」武田砂鉄『マチズモを削り取れ』 藤野可織

武田砂鉄『マチズモを削り取れ』

定価 1,760円(税込)
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 見ただけで「なるほど今すぐ削り取りたいものだマチズモ」と取り急ぎ心の中のナイフを砥ぎはじめてしまうタイトルだが、そもそも「マチズモ」とはなにか。本書ではそれは「この社会で男性が優位でいられる構図や、それを守り、強制するための言動の総称」と定義されている。なるほどますます削り取りたい。しかし、私は警戒する。この本の著者は30代の男性である。いっぽう私は40代の女性だ。はばかりながら日常的に「マチズモ」に虐げられて生きてきた。その虐げられ方といったら我ながら見事なもので、虐げられてきたということにすら気づかず迎合してにこにこしていたこともある。記憶がよみがえるたび自分を絞め殺したい。さらに、虐げられているとわかっているのに条件反射的に迎合してにこにこしていることもある。まったく、何度絞め殺しても殺し足りない。そういうことを、この30代の男性が「わかる」というのだろうか? 「気の毒だった」と? 30代の男性が、私に手を差し伸べるのか? 私はその手を取らなければならないのだろうか? 「わかってくれてうれしい、男の人なのに」と思うべきなのだろうか? そして、女性として私はこの本に、なんというか、お墨付きのようなものを与えることになるのか?
 本書は12の章で成り立っている。まずは目次を見る。その途端、かっとなって我を忘れかけた。なぜなら12のタイトルは、もうそれに目を通すだけでそこで取り扱われている問題の予想がつくばかりか、それにまつわる怒りと悔しさと絶望までをも呼び起こすからだ。自分に起きたことだけではない、私のいろいろな女友達に起きたことが、喉元でぐるぐる狂ったように回る。
 それは、すべての章が担当編集者のKさんによる「檄文」を契機としているからだろう。Kさんは、「マチズモ」の蔓延する社会に常に怒っている20代の女性だ。本書はこの怒れるKさんが章ごとのテーマを掲げ、著者が調査と考察を重ねるといった構成で書かれている。もちろんKさんは怒っているので、彼女の檄文は「こんなことがあったんですけど、どうしてでしょう? 何も知らない私に、どうか教えてください!」といったような体は決して取らない。それでは檄文とは言えない。檄文というのは、手元の辞書によると「敵の罪悪などをあげ、自分の信義・意見を述べて、公衆に呼びかける、また、決起をうながす文書」である。だからKさんの檄文もまた、たとえ末尾が疑問文で締められている場合であっても、マチズモにまみれた言動を糾弾し、見解を述べ、著者に決起をうながしている。本文中にも明記されているように、これは現在の日本社会で一般的なパターンとしてテレビ番組なんかでもいやになるほど採用されている、「オジさんが若い女子に教えてあげる」という構図を反転させたものである。この構図が徹底されるあまり、当事者に対して非・当事者である男性が上からものを教えてくださる、といったコント顔負けの状況まで日々生じている始末だ。著者はその「マチズモ」をまずみずからまさに削り取り、当事者の話に耳を傾ける。当事者のひとりである私の怒りを適切に呼び覚ますのは当然だろう。
 女性であるというだけでぶつかってくる男性、痴漢などに加害され、外もぼんやり歩いていられないこと。かといって家も安全ではない、女性であるというだけで不動産や引っ越しの業者に警戒する必要があり、安全と引き換えに男性よりも高い家賃を支払わねばならなかったり、社会的な信用度を低く見積もられ、独り身で部屋を借りることの困難さに直面させられること。多少の認識のアップデートはあるもののこの社会はまだまだ「たくさんの男性と少しの女性」でできあがっていて、そこへ参加することのできるのは一部の抜きん出た女性だけだと執拗に刷り込まれていること。立って尿をする男性はその行為がまきちらす不潔さに無自覚で、なぜ無自覚かというと掃除するのはたいてい女性だからだということ。「個人的達成に過ぎない」はずの結婚や結婚式を「社会的達成とする風習」がいっこうに廃れないばかりか、強化されつつあるような気さえすること。女性は安全にしていたければ、基本的に男性の話を拝聴する立場でい続けなければならないこと。高校野球の選手の身のまわりのケアをするためだけに存在する女子マネージャーへの割り切れない思いと、彼女たちの人権のこと。女性というだけでスポーツ選手であってもスポーツの業績ではなく容姿で評価され、性的コンテンツとして消費されてしまうこと。スポーツの世界に代表される根性至上主義の弊害。料理や接待における男女のあからさますぎる非対称性。政治から会社まで、組織の多くは男性によって運営され、女性が排除されていること……。傍線を引きすぎてもうまったく収拾がつかなくなり、こんなんやったら引いても引かんでもいっしょやわと色鉛筆を投げ出して読み進めた果てに、Kさんの檄文でぶつかった「(自分の)キャリアの扉は、おもに男性によって開かれていたのだ」という一文。このことに気づいて衝撃を受けたというこのKさんの一文は、私には血で書かれているようにすら見える。
 本書は、あざやかに「マチズモ」の弊害を列挙するが、あざやかな解決法を見つけるわけではない。もちろんそんなものはない。「削り取れ」とあるように、ちまちまと地道に、日々削り取っていくしかないのだ。そして削り取るとは、「マチズモ」のひとつひとつを拾い上げ、いちいち言葉にして検証し、共有すること。本書はひたすらその作業に従事している。それは、私が本書を前にして抱いた警戒をよそに、ただただ真摯に続けられている。私はこの作業を信頼する。私は私の警戒は、捨てない。それは捨てられない。捨てないままで、本書がやっていることを、私もまた私のやり方でこつこつとやっていくと自分に誓う。自分を絞め殺している場合ではない。私は生きて、これをやる。

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