すばる最新号  >  書評一覧  >  魅力に満ちた、歪んだ世界 須賀ケイ『わるもん』 原田ひ香

「魅力に満ちた、歪んだ世界」須賀ケイ『わるもん』 原田ひ香

大澤真幸『わるもん』

本体価 1350円
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 この物語を、私は最初、作者その人に会う日の午前中に読んだ。毎年のことだが、私自身の出身母胎でもある文学賞の授賞式の前には必ず、その年の受賞作を読む。
 書いた人に会えるのは楽しい。
 小説が作家の脳内で生まれる過程というのを知りたいといつも思っていて、チャンスがあれば根ほり葉ほり聞いてしまう。だから、もちろん、文学賞を取ったばかりのきらきらした受賞者に会えて話せて質問できる機会を逃すはずはない。
 そして受賞者本人に会って、「今後、どのような小説を書きたいのですか」などと差し障りない質問をしながら、内心、この人が「レーズンが嫌いだ。(中略)小さく圧縮した脳みそか、昆虫を連想させる見た目は食欲をそそらない。(中略)こんなふうに父が嫌いだ。」という、いきなり心を鷲掴みにする冒頭部分を書いた人なのだわ、意外に好青年だわ……などと考えていた。
 最初一読して、私が思ったのは、なんとも人を翻弄する小説だ、ということだ。
 主人公、純子がいったい今何歳で、父はどうして不在なのか。彼女は幼稚園生であると思いながら読んでいると、中盤以降、また違う事実が見えてくる。そして、ある時、父はふいに現れる。よくわからない。
 特に時間についての記述がまちまちで、たんたんと流れていたと思ったら、急に濁流に飲み込まれるような気持ちに襲われる。けれど、それは自分の子供時代の記憶によく似ていて不思議と違和感がない。
 研磨はされているけど、小綺麗なカットはされていない、大きな宝石が光を浴びながら転がっていくような作品だと思った。プリズムみたいに、ころりころりとその光の方向が変わっていくたびに心が高鳴る。
 評するにあたって再読した。今度はもう「惑わされないぞ」という堅い決意の下に付箋とペンとメモを片手に読んでみた。小川のせせらぎにも濁流にも飲み込まれない、川底にがっちり足を半分踏み込ませて仁王立ちしているような読書である。時間の変化に付箋を貼り、「父不在」「純子、幼稚園」などと、絶対に間違いのない時系列だけ探して書き込みをした。メモには他に「好き」というものもあって、特別気に入った文章のところにも印をした。特に「好き」の数が多くてページがベタベタと付箋だらけになった。
 すると今度は、実はかなりしっかりした物語の軸に突き当たった。読者として楽しむためにさらり読んだ時と、一文一文を時系列に惑わされないように記録しながら読んだ時の印象がまるで違う。
 最初の方で、「庭の水仙が咲いた寒い冬の日、父はお玉杓子でひょいと掬いとられるように、母の手によって箕島家から取り除かれた。」とあり、純子の幼稚園バスのお迎えに来てくれなくなってしまう。母は葬儀屋を呼んで、二十年くらい先だという、父の葬儀の相談をしたりしている。父は「中肉中背で、あたまが薄い。」とある。
 頭の中に、自然に思い浮かぶ家族の形、姿がある。
 ところが、ところがだ。
 やはり、それだけ注意して読んでも、途中、真ん中のあたりで急にがらがらがっしゃん、作者はすべてをひっくり返すのである。できあがったクリスマスのごちそうとお節料理が載っているちゃぶ台をひっくり返すくらい盛大に。だから、私が少し前に作品について書いたことはまったく無意味になっています。すいません。
 だけど、もうそれがおかしくってたまらない。ひっくり返し方、その方法が見事で、私にはまったく思いつかないし、できないやり方だった。大胆でスマートで美しい。筆者の、自分はこれで行きます、という勇気と決意みたいなものを感じた。
 さらに、純子と母親と姉妹たちの生活の細部がしんねりみっちり書かれていて、それだけでもこの作品の魅力にからめ取られてしまうほど素晴らしい。また、父親が母によって「とり除かれた」後、またなんとなく現れるのも、男女って、家族って、そうだよなあ、と気づかされる。
 特に私が好きなのは、冒頭のレーズンの叙述以外で、こんなところだ。「それに比べ母がよく見ているのは純子と純子のしたこと、だ。一生懸命、自由帳に描きためた絵はいちども見てくれたことがないのに、純子と純子のしたことには四六時中、目を凝らしている。」「『純子ちゃん』ばらばらにほつれていた過去が、/『純子ちゃん』簪によって少しずつ束ねられていく。」
 読んでいくにつれ、この小説の時制には、純子の抱えるある事情が関わっており、彼女の目から見える世界や認知の歪みに関係がある、ということがだんだんにわかってくる。しかし、それは私の世界、常識の世界からくる歪みであって、純子にとってはただまっすぐ素直にそれを見ているだけだということも伝わってきて、純子が愛おしくなった。
 私はこの小説をずっと読んでいたいと思った。ずっとずっと、この母と純子と姉妹の物語の文章を読んで、その世界観に浸っていたいと願わずにいられなかった。
 女性像の見事さについては、私は筆者を女性だと思いこんでいたくらいだ。名前も矛盾しない。作者の写真を見て、「え」と声が出てしまったくらい驚いた。もちろん、性別とか年齢とかは、才能には何も関係ないけれど、若い男性でここまで見事に女性の細々とした生活や感情を書ける人はめずらしい。
 最後に、冒頭で、私が著者にさせていただいた質問の答えだが、「ジャンルにこだわらず、いろいろなものを書いていきたいです」ということだった。私も、その方がいいでしょうねえ、と答えた。こんな文体と観察眼を持った人が同じ世代の男性を書いたらどうなるのか、不倫を女性視点で書いたらどうなるのか、と楽しい想像を膨らませずにいられなかった。

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