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「ハグレと祈り」山岡ミヤ『光点』 藤沢周

山岡ミヤ『光点』

本体価 1300円
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 この不穏、かつ甘美な感触……。微睡みの中の夢に似る。ただし、温度がきわめて低い。

『光点』の季節が冬だからというのではなく、物語中の或るスポットの磁場が季節を超越していて、その場所に立つたびに、自らの心の底にある冷えびえとした暗渠の風景と直面するからだろう。目覚めてもいまだ、夢の触手に引き込まれているようでもある。

 その場所の名は、「ヤシロ」。主人公・実以子が訪れるようになった「八つ山」の麓の神社、その奥に隠れた、町の者達も知らぬようなスポット。いや、時空と言った方がいいか、藪奥に潜む秘所を、偶然出会った青年「カムト」は教えてくれた。

 実以子は一八歳。町の弁当工場と家を黙々と往復するだけの日々なのだが、父親が女と逢引する現場を見たことがきっかけに、地元にある「八つ山」の神社に通うようになる。父親が女に向けてしていたように、ただ「祈るかたち」を作ってみたくて。

 家に帰れば、「いつからそんなにあんたは偉いの」「なんであんたに時間をあわせなくちゃいけないの」「もう一度いうわね、なんの実りもない子だから実以子っていうのよ」と、過食症でぶくぶく太っていく母親に執拗に責められ続ける。

 果てしなく目の前に現れる弁当の惣菜、眉間に「手足の短い昆虫の模様」を浮かべて罵詈雑言を吐き続ける母親、家庭に無関心な父親の不倫……。

 実以子は神社でようやく様々なノイズから逃れるのだが、そこで二二歳の青年「カムト」と出会うのだ。神社に行くたびに二人で「ヤシロ」の薄暗い空地へと入り、冷えた土に触り、素手で掘り、また埋める。それはまた、互いの言葉に触り、掘り、埋める作業でもあるのだが、そこで「カムト」という男の正体をつかめぬうちにも、溺愛していた妹を亡くした過去を持つことが明かされるのだ。

「いつも妹のためにならないとぼくが思うことは、直接ことばで否定した。そのうちに妹は自分で選択するきっかけを失って重なっていってせっかくの、妹の持ってる性格がつぶれてしまった。ぼくは妹の自由な日を奪ってしまった」

 この二人に意志の疎通があるのかというと、ない。おそらく、共感もない。ただ世界の捉え方を失ってしまった姿に共通点がある。強度の眼差しや臭覚、触覚で物事を摑もうとして、対象に囚われてしまい、その物事が分からなくなってしまう、いわばゲシュタルト崩壊のようなものを起こしている。「あ」という文字が「あ」に思えなくなるように、「妹」が分からなくなる、「身体」が分からなくなる。世界の文脈がバラバラになる。だから、実以子は立ち位置が覚束なくなり、自らの身体の在り所を探しては、やたら地面と足裏の接触に拘泥するし、宙吊りになった自分にフォルムを与えるために、「祈るかたち」をしようと試みるのだ。そして、カムトの方は、ヤシロの土を掘り、埋めて、再生させる儀式、つまりは物語にすがろうとする。

「(略)きみは信じてるから祈りに来るんじゃないの?」

「あの……信じてるから祈るっていうのが、わたしには、こうだからこうするっていうのが、ないんです。それに、神さまを信じることと祈ることは、べつかな」

 世界から自分がはぐれてしまう。もはや今までの認知が機能しなくなって、見たこともない風景の真っ只中でもなお、言葉にする、伝えるということをする時――人はそれを「詩」と言う。あるいは、「小説」と言う場合もある。この二人が示す在り方は、じつは世界から難破した、まだ孵化する前の詩人と作家が、「ヤシロ」という空無の中から表現を取り戻そうともがいている姿でもある。

 ラストの夜の「ヤシロ」。たとえば、芥川龍之介の「蜃気楼」を想起したら、おかしいだろうか。夜の海岸でマッチに火をつける。すると、海藻や様々な貝殻が照らし出され、砂に半ば埋もれた游泳靴まで見つけて、「気味が悪いなあ。土左衛門の足かと思った」と。さらに、「何だか意識の閾の外にもいろんなものがあるような気がして、……」「つまりマッチへ火をつけて見ると、いろんなものが見えるようなものだな」と、「蜃気楼」では続く。

「わたし」(実以子)と「カムト」は、無意識の底にある、まだ言葉にならない風景にマッチを擦っているのだ。そこには実以子の母親の死体が照らし出されるかも知れないし、カムトの死んだ妹が白いワンピースを着て微笑んで踊っているかも知れないし、また、「カムト」も「わたし」も消えて、誰もいないのかも知れない。最後に見えてくるのは、読者それぞれの無意識の底にある異様な風景ということになる。

 第41回「すばる文学賞」を受賞した本作品。恐るべき書き手が現れたものだが、じつは一四年程前にこの書き手の掌編小説を読んだことがある。「実以子」のようなゼミ生が静かに差し出してきた作品は、若い男女の歪で切ない恋を描いたものだったが、タイトルが、「花、白い」だった。

「白い花」ではない。「花、白い」――。

 人間の心の暗がりを「光点」で表した詩的感性は、またどんな世界を浮き上がらせてくれるのだろう。

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