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「これが現代の「暗夜行路」だ!」 黒名ひろみ『温泉妖精』 片山杜秀

黒名ひろみ『温泉妖精』

本体価 1,200円
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 志賀直哉の『暗夜行路』と似ている。『暗夜行路』の主人公は時任謙作。志賀の分身。作家である。彼は出生の秘密を知る。極めて不道徳。母親の為した払いようのないツケを請求される。謙作の魂は暗夜をさまよう。癒しを求めて温泉に行く。城崎だ。そして山に登る。伯耆の大山だ。ところが体調不良で登山を続けられなくなる。山中で夜明かしする。日が昇ってくる。そして夜明けの青い光に包まれ、大悟する。大自然の前では小人の悩みなど取るに足らない。青色と昇る太陽が謙作を救う。

『温泉妖精』の主人公は二十七歳の女性、絵里。両親は高度成長からバブルの時代を謳歌したお気楽な世代。幼い娘をタレントにしようと地方から東京の養成所に通わせる。毎週末、深夜の高速道路を親子で飛ばし、夜明けと共に東京に着く。まさに「暗夜行路」。だが夢は幻。両親は儲け話に乗ってしくじりもする。家は傾いてゆく。絵里は進学を諦め、働く。

 彼女の魂は、安直な親の行動に振り回され、深く傷つく。変身して真の己を忘れようとする。青いコンタクト・レンズを嵌めて白人とのハーフの女性になりすます。その嘘に生きたいと願う。とにかく絵里を救済する色はとりあえず青。化けた彼女はエリザベス・リンチと名乗って、東北の温泉に行く。ところがそこで、奇妙な男性に出会う。阿部寛がテレビドラマの『TRICK』や『結婚できない男』で演じた役柄を彷彿とさせる台詞回しの独身男。彼は絵里を徹底的に批判し否定し拒絶する。なりすましも見破られる。絵里は幻の中に救いがあるなどという甘い想念にもはや逃げられなくなる。自分を誰も救いはしないのだと赤裸々に実感する。目を覚ます。その中で猛く強くなってゆく。大胆になってゆく。最後には奇妙な男と露天風呂に入る。「日の出風呂」だという。夜明け前から入浴しながら日の出を見物しようという。横で男は絵里を罵倒し続ける。その中でカラコンを外した絵里は昇ってくる太陽を直視する。「様々な色を噴き出す巨大玉」の強い輝きを「目の奥が痛」むまで眺める。

 このくだりの超現実的な高揚感が素晴らしい。『暗夜行路』のように慈愛を含んだ夜明けの青い光に優しく抱かれて救済し再生するのではない。これはもう象徴的焼身自殺だ。ついに青を投げ捨てて、ただただ陽光に焼き尽くされ、業火の中から再生する。誰も自分を救わないという現実に耐えられる強い人間へと本当に変身する。親のツケと青と温泉と太陽。『暗夜行路』を換骨奪胎して、ここに現代の「暗夜行路」が誕生した。

「すばるから生まれた本」書評

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