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「しあわせな おはなしを きみに」 いしいしんじ『よはひ』 栗田有起

いしいしんじ『よはひ』

本体価 2,000円
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 小説家にはこの世のすべてが「ものがたり」のしらべに聞こえます。

 四歳九ヶ月のときすでに彼は「自分がおはなしでできている」とわかっていました。いつのまにやらそれを「食べて生きていた」からです。

 毎日一緒にいた祖母は彼に、さまざまなおはなしを語って聞かせます。彼女の口からあらわれた伊勢湾台風や室戸台風に体を吹き飛ばされ、彼は人生最初のおはなし「たいふう」を書きます。

 彼に子供が生まれました。ピッピといいます。子供というのはこの世が「おはなし」でできていることを直感しています。ピッピもそうです。

 空を舞う雪を見てピッピは尋ねます。

「おとうさん、これ、おはなし?」

 そうです。雪は天から降ってくるおはなしです。この世界は「ものがたり」のしらべに満ちているのです。

 このしらべを貫くのは時間という魔法です。物語を物語のままとどめておくために魔法はかけられ、それが解けたとき物語はふわふわと散らばり私たちの鼻先をかすめていきます。

 なんかいい匂いがするなと思ったらそれは「おはなし」です。

 悲劇から生まれた「香りちゃん」はあちこち旅をしながらひとびとの鼻に飛びこみ彼らを一瞬しあわせにします。

「わかってる? 生きているって、つまるところ、いい匂いに気づく、ってことなのよ」

 私たちは昨日や明日を生きられないことになっていますが、時間の魔法あるかぎりいつでも、どこへでも出かけてゆけます。

 今という時間の囚人である私たちが囚人でなくなるのは魔法にかかるときではなく、解かれたときです。

 そもそも私たちは体のなかに過去と今と未来のすべてを持っています。

 みんないっしょに「おばあちゃんの、おばあちゃんの、そのまたおばあちゃんのなかに、はいってた」のだし、同時に私たちのなかには、こどもの、こどもの、そのまたこどももはいっているのです。みんないっしょに。

 私たちが魔法そのものなのです。

 小説家の体から生まれたピッピは新しい物語でした。その物語から今日もまた新しい物語がはじまるのを小説家は目の当たりにします。

「それぞれのよはひを重ねていく」私たちのために、たった今も小説家はことばを紡いでいることでしょう。始まりも終わりもない、永遠の命を生きながら。

「すばるから生まれた本」書評

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