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「過去は未来である」 辻仁成『日付変更線 The Date Line』上下 栗田有起

辻仁成『日付変更線 The Date Line』上下

本体価各 1,700円
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 あれとこれを分けるとき、快感を覚えるのは奇妙なことだろうか。

 生死。善悪。過去と未来。私たちはあれやこれやを分けずにいられない。たとえば日本とハワイの時差は十九時間。日本にとってハワイはつねに昨日の世界、ハワイからしたら日本はつねに明日の世界。よかれと思って私たちは時間を決め、国を区切り、たとえそれが愚かなことでも、そのせいで苦しんだとしても、そうせずにいられなかった。

 第二次世界大戦でアメリカ軍の兵士として戦った日系人の孫たちがハワイで出会い、戦死したと思われていた祖父、日系二世ニックの知られざる過去をたどる。

 ニックは故郷のハワイで自然をモチーフにした絵を描いていた。「美しいものだけを崇拝」し、「善だけを見てこの世界を計ってきた」二十歳の彼は、戦場で敵兵を撃ち、その死体をスケッチすることで自分のなかにある暗黒を、悪魔を発見する。「神様はいない」ことに気づいたという彼が残した絵と言葉はのちに曲解され、カルト教団の教義となる。

 恋人から言葉で愛を伝えなかったとなじられ、「そんなものがいいのか?」と返した彼は、言葉を信じていなかったのではなく、あらゆる事象を人間が言葉でもってどんなに厳密に分けたとしてもなお越境を止めない、この世の限りなさを知っていたのだろう。

 戦場で自分の、人間のすべてを見たニックの語る言葉は、読む側の身のうちを生々しくえぐる。血肉の匂いを感じさせながら、それゆえ彼の言葉は強烈に美しく、詩的である。それにすがりたくなる人間のか弱さはわからなくもない。

 彼は孫娘に、ハワイの女神を意味するマナという名を授ける。彼女がやがて預言者として世界を救うことを自分は知っていた、と彼はいう。彼にとって過去は未来であり、未来は過去である。つまりは永遠を生きる彼のような存在を、人々はどれほど求めていることか。

 けれどもか弱き私たちがすがれるのは、なんとか日付を今日と明日に分け、かろうじて自分と他者を区別し、生と死の境界が果たしてどこにあるのか惑いつづける、よるべない私たち自身でしかない。

 まずは過去に遺された言葉は未知の世界に通じている、すなわち未来の言葉であることに気づくことからはじめなくてはならないのだろう。

「すばるから生まれた本」書評

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