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「ナガサキの思想と信仰」青来有一『人間のしわざ』 川村湊

青来有一『人間のしわざ』

本体価 1,500円
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 アフガニスタン、ソマリア、イラクなどの戦場を駆け巡って、悲惨な遺体や負傷者、廃墟を撮り続けたカメラマンがいる。五十代の彼は、三十年前の学生時代、テニス同好会でいっしょだった女学生に裏切られたことをきっかけに、死んだもの、壊れたもの、傷ついたものだけを専門に撮影する、ハイエナのような戦場カメラマンとなった(ハイエナという比喩は作中にはない)。前半の「人間のしわざ」では、それぞれ結婚して子どもももうけた二人が、天草と思われる海岸のホテルで、不倫の性愛に耽るという場面が、女性の側から執拗に描かれる。

 男は、三十年前に長崎の爆心地を訪れた教皇ヨハネ・パウロ二世が、ミサを行った日のことを語り続ける。激しく雪が降り、とても寒い日だった。彼女の裏切りにあった彼は、立ち尽くす群集の中で、老人が黒焦げになり、切支丹の女性信徒たちが刑場に引かれてゆく行列といった幻想とも夢想とも知れない光景を見たことを語る。教皇はヒロシマでいった。「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命を奪います。戦争は死そのものです」と。

 このことの意味は、繰り返し描かれる性愛の描写の文章を読みすすめるだけでは理解できない。切支丹への弾圧の場面を想像し、アジアや中近東、湾岸やアフリカの残酷で酷薄な戦場、地震と津波による悲惨な被災状況をカメラで撮り続けるカメラマンにとって、その殺戮や被災を目撃し、あたかも〝神の不在〟を証明するような映像への執念の、その中心にあるものは何だろうか。

 後半の「神のみわざ」でそれはようやく明らかにされる。「人間のしわざ」の悲惨さの中心にあるもの、それは長崎出身の戦場カメラマンにとって、悲惨さの原風景であるはずの〝爆心〟にほかならなかった。「彼ら(長崎での被爆者たち――引用者註)が、妻を亡くして自らも深い傷を負いながらも傷ついたひとびとの治療に奔走したひとりの医師の考えにすがりついたのもいたしかたがないであろう。すなわち自分らの親や子や、兄弟や親類たちは罰せられたのではなく、神に捧げられた生贄である」。この医師とは『長崎の鐘』を書いた永井隆である。原爆投下は神の摂理である、というこのクリスチャンの医師の考えに、作者はおそらく何度も躓いたことがあるのだろう。そして、その果てに掴み取ったのが、「戦争は人間のしわざです」という教皇の言葉だったのではないか。それは決して「神のみわざ」ではない。ナガサキから生まれた思想(信仰)は、ナガサキの信仰(思想)によって否定されるのである。

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