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「呼び交わす過去の符合」上村亮平『みずうみのほうへ』 栩木伸明

上村亮平『みずうみのほうへ』

本体価 1,200円
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『みずうみのほうへ』はひそやかな回想の物語である。三十歳の「ぼく」が、十一月の湖畔で昔を思い出している。幼い頃港の町に住んでいた彼は、七歳の誕生日に父とふたりで「一泊二日のフェリーでの旅」に出た。父はその夜、船上で、「サイモンは言った」という文句をキーワードとするゲームを息子に教えた後、突然行方不明になった。「ぼく」はその後、湖の町に住む伯父に引き取られ、地元の大学を出たのち港の町へ戻り、水産加工場で清掃の仕事をしながらひとりで暮らした。ささやかな楽しみは毎週水曜日、アイスアリーナでアマチュアのアイスホッケーの試合を見ることぐらいだった。

 ひんやりした北の大気をまとう回想は終始おだやかに語られるが、わずかな音や、白い月や、薄氷が誘い出す連想を折り返し点にして、物語は個人史の中の異なる時点を行き来する。事実関係がはっきり見えず、重要な情報が忘れた頃にひょっこり差し出されたりするのにくわえて、「ぼく」には話をでっちあげる傾向があるせいで、ことの真偽はいつまでも霧の彼方にとどまっている。

 すばる文学賞を受賞した本作に、選考委員の奥泉光は、「終わりつつあるのかもしれぬ近代小説の伝統を追体験し、小説なるものの輪郭を体感のなかで探ろうとする作者の姿勢を買った」という選評を寄せている。なるほどと思いながら、小説の「輪郭」をあらためてなぞってみたら、反復とずらしをともないつつ増殖するイメージの連鎖に気がついた。

「ぼく」の半生には、大過去と近過去が呼び交わすかのような符合が数々ある。昔親しかった足の悪い少女の面影が目の前にいる若い女に重なり、少女の母の愛車だったシボレーとだぶる中古車を「ぼく」は修理する。湖にかかる月と海上で見た月が照らしあい、架空の人物だったはずの「サイモン」が生身の男としてあらわれる。美しく歪んだ時間の中で、呼び交わす符合のあれこれがからんだ糸でつなぎあわされていくのだ。

「ぼく」の語りを追いかける者はいつしか、形と大きさを絶えず変化させることばの海に投げ込まれ、漂流しはじめる。「ぼく」が生きる世界には「サイモン」の他に人名や地名が一切出てこないので、読み手は自分自身の回想と連想をよりどころに、『みずうみのほうへ』を彩色するほかない。ひんやりと薄暗い小説世界は、語り手を読み手にすりかえた、ひそやかな回想の「体感」を促す仕掛けを隠している。

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