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「世界を肯う、その日々刻々の選択」中村文則『教団X』 髙橋敏夫

中村文則『教団X』

本体価 1,800円
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 暗黒へ暗黒へ、さらに暗黒へ。人と社会の暗がりの、そのきわみへ敢然と降りたち、そこでの炸裂的な選択を周到かつ執拗にえがきつづけてきた中村文則に、いよいよ転機がおとずれたのか。否、これはもう、転回というべき事件ではあるまいか。ずっしりと重く分厚い『教団X』を、いささかの休止もなく一気に読み終えたわたしの感慨である。

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 昨秋、本誌で『去年の冬、きみと別れ』の書評をしたときの記憶がよみがえる。『銃』(二〇〇三)、『悪意の手記』(二〇〇五)、『土の中の子ども』(同前)、『何もかも憂鬱な夜に』(二〇〇九)、『掏摸』(同前)と、社会秩序の表面的な則を超える暴力的な行為と狂気をえがいてきた中村文則が、『去年の冬、きみと別れ』ではいっそうその傾向をつよめた。狂気が人から人へ、さらに人びとへと受けわたされ、「化物」までもが見え隠れする。そこに社会が普段は隠蔽する暗黒領域がしずかにうかびあがる。それとの逃れようのない直面こそ、絶望と背中合わせの希望だと物語は暗鬱に告げる。

 書き下ろし作品『去年の冬、きみと別れ』が刊行されたのは二〇一三年九月。『教団X』の第一部は本誌の二〇一二年五月号〜二〇一三年六月号に発表され、第二部は二〇一三年八月号〜二〇一四年九月号に発表された。どちらが先に構想されたかはわからない。ただし、『教団X』が『去年の冬、きみと別れ』をまるでつつみこむようにしてあるのに注目したい。

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『教団X』での「教団」は暗黒が所与の場である。『去年の冬、きみと別れ』が暗黒に降りたつ物語なら、『教団X』はそんな暗黒から始まる物語といってよい。

 この教団には、集まってくる人の数だけの、苦しみや悲しみ、妬みや呪詛、過剰な欲望や死への願望などが、ぬめぬめ黒ぐろととぐろをまく。それらは孤立せず、かさなりあい、反発しまた惹きつけあう。だがこれは、けっして行止まりではない。人びとは暗黒ゆえに新たな出発をそれぞれの仕方で望んでいる。こんな物語がながくならぬわけはない。

 しかも、ここで教団は、密接な関係を保ちながら正反対の方向をむくふたつの教団に分かれている。ひとつは、アマチュア思想家をなのる松尾正太郎を中心に、ゆるやかに形成された集まり。もうひとつは、頂点に絶対者のごとく君臨する沢渡を頂き、公安警察からは「教団X」と呼ばれる謎のカルト教団である。

 端的にいえば、松尾の思想は、宇宙の連続性と社会的平和の希求のうえにたつ「世界の肯定」を、対して沢渡の思想は、社会の変革というより破滅を志向する「世界の否定」を核心とする。ふたりは同一の師のもとにいた。

 両者を知り今は教団Xの幹部の高原は、女を性的にいたぶる沢渡を前に思う。「松尾正太郎とはタイプが違う。(中略)こいつの身体の中から、重い液体のようなものが滲み出ているように思う。その重い液体に、人が寄せられる。自らの暗部をその液体に溶かし込んでいくように」。

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 物語は、松尾サークルと沢渡教団Xに関係する四人の男女——突如姿を消した立花涼子を探す楢崎、貧困を憎み赴いたアフリカで過激派武装集団にかかわる高原、高原を追い教団に来た立花涼子、そして高原を愛する峰野——から、ときに松尾の妻の芳子、警察や公安の視点もとりこみながら、多視点的にえがかれる。

 第一部は主に松尾サークルを舞台に松尾の死まで、第二部は、教団Xを舞台に教団壊滅と、四人のその後と、松尾サークルの再生をえがきだす。物語のトリガーとして、教団壊滅にかかわる幾重もの謎が仕掛けられ、ミステリーとしての趣きもかねそなえている。

 物語全体に底流し、見え隠れするのは松尾のこんな思想である。「時には挑み、時には全てもいつかは消えるのだ、と考える。それでいいと思います。たとえそれが決められたものであっても、変えられるものであっても、私達は主体性をもって目の前に現れる道を選択し続ける姿勢でいればいい。その姿勢がきっと必要なのです。(中略)あなたの『物語』を支えるこの物理法則、無数に流れていくこの原子のシステムは、圧倒的に豊饒で贅沢なものなのです」。

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 松尾の思想を受けつぎ芳子は言う。「私達は、世界を肯定しましょう。世界の全てでなくてもいい。世界の何かは肯定しましょう」。そして、「皆さん。私達は人間です。不安定だけど、人間です。皆さん」についで、「共に生きましょう!」と溌溂と呼びかける。

 宇宙の連続性のもと、暗と明は連続し、人と人は連続し、人は人と生きる。

 世界を肯うことを、日々刻々の選択としてかかげる。いくつもの暗黒の物語を経て、中村文則が『教団X』をとおしてはたした、ドラスティックな転回だ。

「世界と人間を全体から捉えようとしながら、個々の人間の心理の奥の奥まで書こうとする小説。/こういう小説を書くことが、ずっと目標の一つだった。これは現時点での、僕の全てです」と「あとがき」で中村文則は書いている。

 サルトルの全体小説や野間宏の総合小説を思わせるが、かつて自明であった社会の方向性はすでにない。そうであるがゆえに、『教団X』は、戦争体験、戦後革命運動、昨今の社会的格差、グローバルな貧困、激化するテロリズム、三・一一以後の社会混乱、右傾化する政府による欺瞞的な「敵」作り等を果敢にとりこみつつ「社会」を、そして「人間」を再定義しようとする。この点でも『教団X』の新たな選択、転回はあきらかである。社会、生理、心理をえがく総合小説を、さらに根源性、歴史性、現在性によってとらえなおす新たで豊饒な総合小説の創出が始まった。

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