すばる最新号  >  書評一覧  >  虚構と現実の隙間の、現実よりも現実的なもの フィリップ・ロス/ 柴田元幸 訳『プロット・アゲンスト・アメリカ もしもアメリカが…』 内田樹

「虚構と現実の隙間の、現実よりも現実的なもの」フィリップ・ロス/ 柴田元幸 訳『プロット・アゲンスト・アメリカ もしもアメリカが…』 内田樹

フィリップ・ロス/ 柴田元幸 訳『プロット・アゲンスト・アメリカ もしもアメリカが…』

本体価 2,200円
▼BOOKNAVIへ

 フィリップ・ロスの新刊の内容を聴いて腰を浮かした。一九四〇年のアメリカ大統領選挙で共和党から候補者指名を受けたチャールズ・リンドバーグがローズヴェルトの三選を阻んでアメリカ大統領に就任し、アメリカが戦争不介入の立場を取ってヒトラーのヨーロッパ支配、日本の植民地支配を容認したあと、反ユダヤ主義が吹き荒れ始めたアメリカの話だという。ちょうどそのとき「一九四二年にミッドウェー海戦の敗北のあと、対米講和を締結していたせいで空襲も原爆投下もなかった日本」という空想に耽っていたからである。

 ご案内の通り、フィリップ・K・ディックに『高い城の男』という傑作SFがある。第二次世界大戦でアメリカが負けて、東半分がドイツに、ロッキー以西が日本の占領地域になったアメリカの日常を描いた作品である。その敗戦国アメリカには、作品内現実とは逆に「アメリカが独日に勝利していたら、世界はどうなっていたか?」という大胆な仮定をした禁断のSFを書いている小説家がいる。その小説のタイトルは『蝗、身重く横たわる』(私はディックの挑発に応えてこの小説を書いてしまった高校生を二人知っている)。

 虚構と現実の薄い隙間には、しばしば現実よりも現実的なものが棲まっている。

 フィリップ・ロスはディックのSFを「本歌」として意識したはずである。そして、ディックのSFとの差別化をはかるために、自作には「実在の人物」以外のものは誰も出さないというルールを課した(らしい)。事実、印象深い登場人物のうち何人かはロスが造型した架空のものだろうと思って私は読んでいたのだが、巻末に付された「主要人物の真の年譜」によると、なんと出てくる人たちのほとんどが実在の人物なのである。リンドバーグと真っ向から戦う毒舌のニュースキャスター、ウォルター・ウィンチェルはそのあまりに戯画的な描写から推して作者の想像の産物に違いないと思っていたが、実在の人であった。リンドバーグ政権の副大統領となり、反ユダヤ主義者として非道の限りを尽くすバートン・K・ウィーラーもまさかとは思ったが、実在のモンタナ州選出の上院議員であった(こんなことを書いて議員の遺族から名誉毀損で訴えられなかったのだろうか……)。

 この小説は「一九四〇年の大統領選挙でチャールズ・A・リンドバーグ大佐が当選した」という非現実仮定以外はでき得る限り現実を写実的に描き出そうとしている。たしかに、非現実仮定の範囲を限定すればするほど、その非現実仮定に基づく仮想的現実は現実性を増す(わかりにくい書き方で申し訳ないが、わかりますよね)。

 物語の主人公はニューアークのユダヤ人街に住む七歳のフィリップ・ロス少年。家族構成も家族の肖像も作家の自伝的事実をなぞっている。リンドバーグが大統領になった「もう一つのアメリカ」では、ゆっくりと民主制のルールが空洞化し、人種差別的心性が露出し、利己心と攻撃性の抑制が外れてゆく。その空気の変化は少年の肌にもひしひしと感知される。やがて、ナチスドイツの外相リッベントロップがホワイトハウスに賓客として招かれる日を境に、アメリカ社会は剥き出しの反ユダヤ主義のうちに崩落し始める……その苦境のうちで「アメリカの理想」を信じる市民たちは、復権の機会をうかがうローズヴェルトやニューヨーク市長ラガーディアを先頭に、リンドバーグ支持の圧倒的な世論に抗う。けれども、彼らの市民的常識はファナティックな政治的熱狂の前にほとんど無力である。そうやってゆっくりと日常的なリズムを刻みながら、アメリカの自由と民主主義が合法的に(しばしば善意を装って)瓦解してゆく。アメリカがアメリカでなくなってゆく日々を作家はクールでリアルな筆致で記述する。その非人情がこの小説に例外的な緊張感を与えている。

 読み終えて深い嘆息をつきながら、現代日本に「日本がアメリカに勝っていたら、その後の日本はどうなっていたか」という小説をリアリズムの手法で書けるだけの構想力を持った作家がいるだろうかと私は自問してみた。そんな力業ができる作家はたぶんいないだろう。

 急いで言葉を追加するが、これは作家の責任ではない。「日本がアメリカに戦争で勝つ」という設定に説得力を持たせることがどのような奔放な想像力を以てしても不可能だからである。

 そもそも大日本帝国戦争指導部は「アメリカに勝ったあとのアメリカ占領政策」を起案していたであろうか。私はしていないと思う。一%でも戦争に勝つ気があれば、アメリカ大陸占領要綱の断片くらいは参謀本部のどこかに残っていたはずであるが、そのようなものは発見されていない(もちろん、実は書かれたのだが八月一五日に焼き尽くされたという可能性もある。だとすれば、その占領要綱は「米軍に読まれたら関係者全員が極刑に処される」くらいの非道な内容のものだったということである。それなら参謀たちが死にものぐるいで焼いた気持ちもわかる)。

 その上で、『プロット・アゲンスト・ジャパン』という小説が現代日本で書かれる可能性がないという事実に私は改めて愕然とするのである。

 日本人は虚構を介してさえ「日本がアメリカに勝った後の世界」、せめて「これほどまで手ひどくは負けなかった世界」を構想できないのである。大日本帝国戦争指導部はそれほどまで無計画に対米戦争を始め、その無思慮ゆえ戦後七〇年いまだアメリカの属国という立場から逃れられぬほど徹底的に戦争に負けた。その歴史的事実の重さに私はひどくうちひしがれるのである。

「すばるから生まれた本」書評

書評一覧へ