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「哄笑爆弾を仕掛ける政治小説」 いとうせいこう『鼻に挟み撃ち 他三編』 星野智幸

いとうせいこう『鼻に挟み撃ち 他三編』

本体価 1,200円
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 聖橋のたもとで演説をぶっている表題作の「わたし」は、なぜ鼻をなくしたのか?

 答えは、後藤明生の『挾み撃ち』を読み、ゴーゴリの『鼻』を読んだから。後藤明生がゴーゴリの『外套』を読んで『挾み撃ち』を書いてしまったのと同じく、本作の語り手は、『挾み撃ち』と『鼻』を読んで、このテクストを書いた。第二章でわかるとおり、「わたし」は自分の演説を録音してすべて文字起こししているのであり、すべては書かれたテクストだ。

 読んだら、読んだものそのものに成ってしまう。それがこの小説を貫く原理である。だから、三章に現れる「私」は、一章二章の「わたし」の語るものを読んで、「わたし」の鼻になってしまう。

 では鼻であるとはどういうことか? 三章によると、容貌は曖昧だ。ゴーゴリ『鼻』では、鼻をなくした当人から、「あなたは——このわたくしの鼻ではありませんか!」と問われて、こう答える。「僕はもとより僕自身です」。このため、四章の鼻としての「私」も、姿形は曖昧なまま描かれる。それでも鼻である根拠は、私(星野)なりに解釈すれば、「俺が鼻だと感じる以上、俺は鼻なのだ」となる。

 こうして『鼻に挟み撃ち』の世界は、鼻であることを自覚した人と、そんな鼻を異分子として排除しようとする「反・鼻集団」たちとに二分される。鼻をなくした者は、欠如を覆い隠すようにマスクをつけて「正常」を装うが、自分が鼻であることを自覚した者は、鼻であることを覆い隠せない。鼻をなくした者は、鼻を一掃すれば「正常」が戻ると考える。

 いったい、いつからこんなグロテスクな対立は始まったのか。小説では、それがある日突然起こったわけではないことが、何度も強調される。その現実から目を逸らしているうちに鼻はじわじわとなくなっていったのだ。これがこの作品のもう一つの原理で、実際には進行していたのに無関心でいるうち、ある日突然、荒唐無稽な事態に陥っている。

 ゴーゴリの『鼻』では、最後、鼻は元の持ち主に戻る。『鼻に挟み撃ち』では、鼻が戻ったと思いきや、妙なものがくっ付いている! みんながその付属物のある鼻をつけたら、この社会はどうなるのか? 想像するだに笑いが止まらない、みんなが後藤明生になって自分の『挾み撃ち』を書く世の中なんて!

 先行小説の引用とは、歴史の導入である。その分厚い歴史性の中に現在の私たちの社会の姿を出現させるこの作品は、きわめて強度の高い政治小説である。

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