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「再発見される恋愛」 奥田亜希子『左目に映る星』 伊藤氏貴

奥田亜希子『左目に映る星』

本体価 1,200円)
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 永遠の都はローマでなく恋愛だ、と高言したのは厨川白村だったが、師の漱石のように時代を見通す眼は持ち合せていなかったようだ。しかし白村でなくとも、恋愛が亡びると誰が思ったであろう。個々の恋ではない。そんなものは砂浜に書いた文字と同じだとは古代ギリシアから言われていた。そうではなく、人が恋というものをしなくなる日が来ようとは。最近のさまざまな統計は、たしかに日本の若者の恋愛離れを示している。文字離れも困ったものだが、文学にとっては恋愛離れも同じくらい大変だ。なにしろ文学最大のテーマが喪われてしまうのだから。

 と思っていたら、この作品に巡りあった。惚れて嫉妬して泣いて笑って、というような素直な恋愛は、もはや安物のテレビドラマかラノベにしか存在しえない紋切型だが、ここにはリアルでかつオリジナルな恋愛がたしかにある。

 もはや恋が自明の存在でなくなってしまった若者たちは、長い時間をかけて「恋とはなにか」ということを体得していかなければならない。二十代後半になる早季子の心には、小中で一緒だった男の面影が未だに深く巣食っている。別の男と交際するものの、気のないことを見透かされ、相手を深く傷つけるが、しかし自分では気づいていない。あるいは、合コンで出会った男とその日に体を重ねては、満たされることなく孤独をかこつ。

 その後、昔の同級生や自分と同じ目の症状を持つ男との出会いによって早季子は変わってゆく。そこでやっと、人を愛するというのはどういうことかを学ぶのだが、詳細はここでは述べない。それがこの作品の最大の読みどころだからだ。

 早季子はどうやって愛を見つけるか、その愛とはなにか。こう書くとなんとも陳腐に聞こえてしまうのだが、しかしここにはたしかに生きた人間がいる。身体感覚のある文体で主人公を捉えている。

 他の人物たちはともすると平板に見えるところもあるが、これはこの小説の問題というより今の現実なのだろう。お互いに深入りすることのない関係においては、他者はどうしてもキャラ化されてしまう。だからこそ逆に、そうした関係の中で傷つきながら探り当てた恋の相手は貴重なことこの上ない。今の日本には、それが何かを知らぬまま愛を求めてさまよう大勢の早季子たちがいる。今や恋愛は再発見されねばならないのだ。こうした恋の書き方もあるのだと納得させられた。

 デビュー作とは言え、この作品には厚みがある。それは人間の厚みだ。それさえ押さえていれば、小手先に走ることなく時代を超える小説を今後も書きつづけていけるだろう。

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