ドローイング—ケントリッジ、カオスモス、ルーリー
ベルリンのフンボルト・フォーラム
レベッカ・ホルンのちぐはぐな器具
顔真卿から学ぶこと
『濹東綺譚』を描く
小穴純−アナログにとどまること
スイスの建築家と日本
アロイーズを見て「内側」を思う
清宮質文が描く建物
西野達の本能的な制作
ツェ・スーメイの「音」
なぜ田中功起は編集に懐疑的なのか
森はインドを選んだけれど……
冬に熊谷守一を見るということ
見えない炭坑を記録するために
——「山本作兵衛の世界」を見て
ピラネージの地図と「狂気」
海の近くの展覧会
──横浜トリエンナーレとファイニンガー展
「和紙」とアート
──阿波紙の試み
縁起は未来に
──石山修武の建築ライヴ
凛々しい絵、日高理恵子の樹
「墜ちた天空」と茸の意志
──畠山直哉が写した地下採石場
山口で見るメディア・アート
──池田亮司が見せる世界
ヨゼフソンの彫刻を見た者は
暁斎は、酔うほどに冴えて
谷口吉郎の工場と「萌え」
沈黙へ 内藤礼の「母型」を見て
アバカノヴィッチの問い
コニー・アイランドの回転木馬
舌読用の点字板は芸術か?
明るい闇、純白の闇む
高島野十郎の絶筆を、前にして、佇む
種臣、あるいは書ならではの近代
へうげもの、藤森照信
つねに遅れて問い続けること
したたかなアアルト
図書館のアルトー展は乱雑で
モノの哀れ「一分の彫刻たち」
斜めの窓と聖なる家
生きるための茶番 三島へのレクイエムとして
バクラランの温もりに目を覚ます
アンチ・カタルシス
バロックな「オレの王国」でうふふ
魔法は、黒は黒と言える空間で
アートのプライベート化に反対する
トランジットとアート 相対性こそ我が楽しみ
廃墟の時間が染みこんで
紙を切る生あれば、恋に落ちる春
リアリズムが歴史に関わる限りは
長崎に、祈りの空間を見た
青森で、建築は演劇を孕んだ
再制作を壊す身体
美術批評は赤ちゃんのように無謀たれ
そこに愛はあるのか
新しく生きるために勇気を出して笑うこと