ベルリンのフンボルト・フォーラム
保坂健二朗
2010年 2月号

作家名不詳「飛翔の試み」(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ著『奇妙な思考』への補遺、ライプニッツによる注釈つき)1675年木版画ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ図書館(ハノーファー)
ひさしぶりにベルリンを訪れたら、ノイエス・ムゼウムがついに再開館していた。日本語では「新博物館」と訳されるこの施設が開館したのは一八五九年のこと。第二次世界大戦ではほとんど廃墟と化し、冷戦時代は東ドイツによってそのまま放置されていたのだが、ドイツ統合後に状況は一変、一九九九年にプロイセン文化財団(SPK)が採択したマスタープランをもとに改修が始まり、二〇〇九年十月、ようやく再開館したのである。
当然、中は混んでいた。埋葬に伴う造形が多いエジプト美術をにぎにぎしい雰囲気の中で見るのでは気分が出ない。そこで私は、道を挟んで隣にある別の博物館にいそいそと向かった。
一八三〇年に開館したこちらは、アルテス・ムゼウム、すなわち「旧博物館」である。エジプト彫刻の傑作《ネフェルティティ》が「新」に移ってしまったのがやはり大きいのか、見事に空いていた。しかし私の今回の目的は、ここのコレクションではない。二階で開催されている「世界への違ったアプローチ——ベルリン王宮のフンボルト・フォーラム」と題された企画展である。
ところで「旧」を訪れた者は、階段を上りきり、入口の扉に手をかける前に、必ずや建物に背を向けて、目の前に広がるルスト・ガルテンを見渡すことだろう。その広場が面する通りの向こう側は真新しい緑地となっているけれど、かつてはそこに「共和国宮殿」が威容を誇っていた。日本にあるならば郊外の巨大スーパーにしか見えない建物の中に、人民議会のほか、レストランやボウリング場、はてはディスコまでもが入っているという珍妙な代物であった。
この「共和国宮殿」ができる以前そこにあったのが「ベルリン王宮」にほかならない。それは第二次世界大戦で廃墟と化しただけでなく、プロイセン王国の象徴であるとみなされて、東ドイツによって爆破解体された。しかしその後建てられた「共和国宮殿」も、社会主義の象徴とされて、統一ドイツによってこれまた解体(アスベスト問題などもあった由)。今はただの緑地になっている。
そこに今度、「ベルリン王宮」が、外観をほぼ復元する形で再び建てられる……